今日のみ言葉【No.3908】(2026年 5月18日)「生活の処方箋(316)『思い込みからの解放』」
エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」。
(列王紀下6:16)
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世界的に有名な奇術師、ハリー・フーディーニは、世界中のどんな鍵のかかった扉でも開けることができる、と自慢をしていました。
ある時、イギリスの田舎に招かれました。
その町で、彼は熱狂的に迎えられました。
そこには、刑務所の新しい独房が完成していたからです。
彼はその独房に閉じ込められ、隠し持っていた25センチの鉄棒で脱出を試み始めました。
30分、そして1時間も過ぎ、鍵がまだ開けられず、だんだん表情が険しくなっていきました。
2時間が経ち、とうとう開けることができず、ぐったり疲れ果てた彼は、崩れるように扉に倒れかかったのです。
その時です。何と、音もなく扉が開いたのです。
扉には、最初から鍵はかけられていなかったのです。
鍵がかかっていると思い込んでいただけだったのです。
生活の中で、私たちの思い込みが、幸せを阻んでいることがあるのではないでしょうか。
心してみたいものです。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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鍵がかかっていると思い込んでいたフーディーニと同じように、すでに助けがそこにあるのに、見えていない人の記事が列王紀下6:15-17にあります。
預言者エリシャとその召使がスリヤの軍勢に包囲された際のエピソードです。
召使は、自分たちが大軍に囲まれているのを見てパニックに陥り、絶望してしまいます。
一方、エリシャは敵の存在を無視していたわけではありませんが、それ以上に強力な「神の守り」が今この瞬間に存在していることを確信していました。
そしてその数は、目に見える軍勢より多いことをこのように語っています。
「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」
(列王紀下6:16)
助けが無いのではなく、見えていないだけなのです。
召使がキャッチしているのは、「包囲されている=死、終わり」というものです。
しかし、エリシャが持っていたのは、「敵以上の守りがある=安全」という確信でした。
召使的なクリスチャンなら、
「神さま、この状況を変えて下さい」
と祈るかもしれません。
しかし、エリシャ的な人なら、
「神様、今この状況の中にある神の恵みが見えるように、私の目を開いてください」
と祈るのではないでしょうか。
フーディーニ側にいるか、エリシャ側にいるか。
現実はすでに解決の方向を向いているのに、神の存在を計算に入れず、自力だけがすべてだと思い込んでいるのだとすれば、それは不幸なことです。
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エリシャが召使の若者のために
「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」
(列王紀下6:17)
と祈り、その結果、彼は
「火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった」
(列王紀下6:17)
という事実を知ることになりました。
私たちも、霊の目を開いていただく今日としてまいりましょう。
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