今日のみ言葉【No.3768】(2025年11月 5日)「パロの追撃(3)」
モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
(出エジプト記14:13)
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神を信じていてもいなくても、困難はやって来ます。
その際、信仰を通して困難を見るか、不信仰を通して困難を見るかで、後の運命が大きく変わります。
前者はモーセで、後者はイスラエルの民でした。
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「パロが近寄った時、イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた」
(出エジプト記14:10)
とあります。
神の力を信ぜず、自分の力でしか生きられないと思っていると、こうなります。
自分より上回る相手の前では、何もできないと判断するからです。
そこで人間は何をするのでしょう?
それはアダムとエバ以来変わっていません。
責任転嫁です。
イスラエルの民の不安と恐れは、つぶやきとなって現れ、全部モーセのせいだと主張し始めます。
「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか」
(出エジプト記14:12)
不信仰によって困難を見ると、神が見えないので、神のなさることがわかりません。
しかし、信仰によって困難を見るモーセは違います。
彼は、問題や試練を通して神が働かれることをこう宣言しています。
「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう」
(出エジプト記14:13)
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現実的には、イスラエルの民に勝ち目が出る材料は何もありません。
前は海、後ろは強大なエジプトの軍隊。
自分たちには戦える武器はなく、第一、すでに戦意喪失しています。
しかし、見えないものを見るのが信仰です。
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」
(ヘブル11:1)
現在、何も無いところで、神の約束を信じ、先にある未来を描き、それを言葉に表して宣言すること。
私たちの思いを支え、それを可能にさせるのは信仰です。
モーセの言葉は、今までの神との関わりの中で培われた信仰によって、
「当然現実となるもの」
として語られたのです。
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今日もまた、信仰を通して困難を見る者として歩んでいきましょう。
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