今日のみ言葉【No.3764】(2025年10月30日)「パロの追撃(2)」

「イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた」
(出エジプト記14:10)

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教会内で問題が起きた時、祈りも平安もなくなり、焦りと不安が募る人がいます。

礼拝出席や奉仕を、「こなしている」だけだとそうなりがちです。

人が教会に呼び集められるのは、神との関係を確かめ、それを味わい、さらには強化するためです。

その目的が忘れられたり、薄まっていたりすると、目的のために講じられる手段の方がクローズアップされ、そちらを守り抜くことにエネルギーを費やしてしまいます。

結果として、心が伴わない教会生活となり、「信仰の形骸化」というものが始まります。

パロの追撃を知ったイスラエルが、平安でなく恐れを感じたのも同じような理由からです。

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「イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた」
(出エジプト記14:10)

とあります。

なぜ恐れたのでしょう?

10の災いを通して神の力を知り、その結果としての出エジプトを体験したのですから、

「神がおられるから大丈夫」

となるのではなかったでしょうか。

理由は、神からの「使命」を理解していなかったからです。

神がモーセを通してイスラエルの民に与えた使命は、単にエジプトから脱出することではありません。

エジプトから出ることは、神の使命を果たすための「手段」にしか過ぎません。

手段でなく「目的」は、イスラエルの民が神との契約関係に入り、世界に対する神の証し人となることでした。

神がイスラエルを解放されたのは、彼らが自由を得て好き勝手に生きるためではありません。

まず、神を礼拝し、主に仕える自由を与えるためだったことが、初期の言葉でこう表されています。

「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』」
(出エジプト記5:1)

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手段と目的を取り違えず、今日も神の使命を意識して歩んでまいりましょう。

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