今日のみ言葉【No.817】(2014年 5月 2日)

ああ過ぎた年月のようであったらよいのだが、
(ヨブ記29:2)

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東日本大震災の直後にビートたけしさんが語った言葉は、多くの人の共感を呼びました。

「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。」

「人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ。」

失われた数の大小で悲しみの大きさ小ささが決まるのではなく、ひとつひとつが同じ重さを持つのです。

ですから、

「そんな事で泣いてどうする。あの人を見ろ。あの人はあなたの何倍もの試練を…」

と説教しても、人の心に届かないどころか、反発を招きかねません。

喪失感は人の心に大きな重荷となってのしかかるものです。

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ヨブ記はここから3章、ヨブが一人語る独白の箇所です。

29章…昔は良かった

30章…今はダメだ

31章…神はこれをどう見るのか

ヨブのつぶやきが延々と続いていきます。

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ヨブ記の冒頭で

「その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。」
(ヨブ記1:3)

とあるくらいですから、相当なものです。

子供に恵まれ、財産は増え、健康は万全。

多くの人に親切を施したので、人間関係においても確たる地盤を築き、社会的に一目置かれるほどの力を持っていました。

しかしその彼が、昔は良かった、と過去の栄光を振り返るのは、今が満たされていないからです。

彼は子供、財産、健康を失いました。人は彼を避けるようになりました。

「あの時には…、あの時には…、あの時には…」

と彼が繰り返し言うのも無理はありません。

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このような人に対して、聖書のみ言葉を用いて諭すことくらい簡単なことはありません。

たとえば、

「いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」
(出エジプト記34:7)

との個所を示し、

「ね、確かに罪は三、四代まで影響はあるけど、いつくしみは千代までだよ。1000円の前でたかが3〜4円なんて、ほんの僅かだよね。」

と調子よく言ったとしたら、かえってその人の心を傷つけるのではないでしょうか。

人の心は理論で納得できる部分ももちろんあり、スパっと切り替えることができることもありますが、どうしても

「気がすまない」

という感情の部分があります。

気がすむまでその人の話を聞いて差し上げるのが人間ができるベストなのではないでしょうか。

そこから先の心の動きは神様のみが動かすことができます。

「ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。」
(使徒16:14)

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人の心を開くのは神のみです。

悲しみに沈む人に私たちができるベストを尽くし、神の働きを期待する一日として参りましょう。

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