今日のみ言葉【No.790】(2014年 3月19日)

すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。
(ヨブ記2:10)

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ヨブはいかなる災いが下ろうとも、罪を犯すことはしませんでした。

彼の妻が呆れ果て、

「神をのろって死になさい」
(ヨブ記2:9)

とまで言っても、彼は

「われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」
(ヨブ記2:10)

と取り合いません。

しかし、次の3章では一転して

「ヨブは口を開いて、自分の生れた日をのろった。」
(ヨブ記3:1)

とあります。

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なぜでしょうか?

それは、彼は自分の行動に何の落ち度もないと思っていたからです。

正しいことをしているのに災いが起きる。

それなら生まれてこないほうが良かった、と考えるヨブの気持ちです。

「自分が正しい」

「私のどこが間違っている?」

確かにヨブの災いの原因は天にありました。

しかし、どこまでも自分を正しいとする生き方は、ヨブのように周囲と対立を招き、生きることを否定する考えに至ります。

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ではその考えをすぐ変えれば良いのではないでしょうか?

理論的にはたしかにそのとおりです。

ヨブ記第38章で、

「この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた」

ことで、彼は納得するからです。

しかしヨブ記はその間、3章から37章までを費やし、延々とヨブとその友人との間の論争を繰り返させます。

思考の転換も必要ですが、感情の吐き出しはもっと必要であり、時間をかけて丁寧に、これでもかこれでもかとばかりに自分の思いのたけを注ぎ出す時間が必要なのです。

その後に真理を語られ、人の心は腑に落ちるのです。

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子が与えられない苦しみを、ハンナはこう言いました。

「いいえ、わが主よ。わたしは不幸な女です。ぶどう酒も濃い酒も飲んだのではありません。ただ主の前に心を注ぎ出していたのです。はしためを、悪い女と思わないでください。積る憂いと悩みのゆえに、わたしは今まで物を言っていたのです」
(サムエル記上1:15-16)

言葉にならないうめきや嘆きを神は祈りとして受け取って下さいます。

その一言一言は決して無駄とはなりません。

前に進むためには、神の御前に心を注ぎ出し、気持ちを露わにする時間が必要なのです。

堂々と主の御前に祈るひとときを持ってまいりましょう。

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