今日のみ言葉【No.787】(2014年 3月15日)
憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変った
(エステル記9:22)
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世界的に死刑制度を廃止あるいは事実上停止する国のほうが多くなりました。
「死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止する」
という科学的な証明はなされていないことがその理由です。
さて日本では8割以上の国民が死刑存続を認めています。
しかし、もしかしたら百年後、
「我々の先祖は死刑賛成だなんて、よくまあそんな残酷なことを平気で考えていられたね。」
という国になっているかもしれません。
今、当たり前のことが、未来において必ずしも正しいとは言えないのです。
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旧約聖書を読む時、特に注意すべきことがあります。
それは、神の御心を行う人間の素晴らしい行為と、御心を行わないおぞましい行為の両方がありのまま書かれてあるということです。
エステル記も同じです。
神に対する忠実さという素晴らしい面と、現代の私たちからすれば「残虐行為」と思わされることの両方が残されています。
その暗黒面に引っ張られすぎないようにするためにどうしたらいいかという方法があります。
それは
「中心的メッセージは何か」
を絶えず心にとめて読むことです。
つまり、
「一番伝えたいと思って記されていることは何か」
「何を目的として編集されているのか」
を忘れないで読むことです。
そうすると、枝葉の部分に惑わされず、きちんと幹の部分を追うことができます。
エステル記ではプリムの祭りの起源を教えることが一番の目的です。
そこさえ外さなければ、エステル記から正しくメッセージを汲み出すことができます。
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現代の私たちがこの書から学ぶことは、ペルシャに生きるこの当時のユダヤ人たちに、
「憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変った」
(エステル記9:22)
という出来事があったということです。
このことを忘れないために記念として毎年プリムの祭りを行うことが定められました。
これが聖書から汲み出す固定的メッセージです。
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では、現代の私たちが生きるときの聖書からの応用的メッセージは何でしょうか?
それは
「憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変った」
という祝福は、
(1)神を信頼し、忠実に与えられた責務を果たしていく先に与えられる
ということです。
そしてこのことを忘れないために、
(2)定期的に記念の祭りをする
ことです。
今を生きる私たちにとって、
(1)とは聖書通読と祈りを通して聖霊に導かれた生活をすること
(2)とは毎週の礼拝を守ること
ということです。
この生き方をしていく時、どんなことが起きても、
「憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変った」
と告白できる日が必ずやってくるのです。
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今あなたが憂いと悲しみを味わっているとしても、それは決して永続しません。
必ず喜びと祝日に変わる時が来ます。
聖書の神の約束を信じ、祝福の方向への一歩を踏み出して参りましょう。
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