今日のみ言葉【No.779】(2014年 3月 6日)

そこで王は時を知っている知者に言った
(エステル記1:13)

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今日からエステル記ですが、この書は「神」という語が一つもない事で有名です。

しかしそのストーリー全体から神の守りと神への信仰が表されています。

エステル記の時代は、エズラ記の6章と7章の間で、ネヘミヤ記よりも前です。

舞台はペルシャの王宮のある首都スサ。

そのあらすじは、ユダヤ人の血を引くエステルが王妃となり、ユダヤ人を滅ぼそうとする陰謀から同胞の民を救う、というものです。

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第1章にはアハシュエロス王の王妃ワシテが王の命令に従わなかったので、腹を立てた王が王妃の処分をどのようにしたら良いか知者の意見を聞くシーンがあります。

この

「時を知っている知者」

とは当時の天文学者、つまり、占星術師であっただろうと言われています。

彼らは天体の星々の運行を見て判断を下すはずの人たちでした。

しかし、この個所には星を見たという記述は一切ありません。

むしろ、「法律と審判に通じている者」と書かれてあります。

人間の知性で事を処理しようとしました。

その結果、王妃ワシテに対して

「この後、再びアハシュエロス王の前にきてはならないという」

という王の命令を下すように彼らは進言しました。

その理由は、

「妻たる者はことごとく、その夫を高下の別なく共に敬うように」

なるためです。

現代から見れば全く馬鹿馬鹿しいことですが、これが各国語に訳され、ペルシャ帝国の隅々まであまねく徹底されました。

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人間の知性は時々このような結果を招きます。

私たちは、自分の知っていることはほんの僅かな有限な範囲内のみのことであり、全体の中の一部分であることを知る必要があります。

その時、私たちは謙遜になることができ、エステル記第1章のような行き過ぎた判断をすることから守られるのです。

「わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。」
(第1コリント13:12)

完全に知っておられる神が事の背後におられることに私たちの霊の目を向けなければなりません。

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私には分からなくとも、すべてをご存知で配慮しておられる神に信頼を置く一日として参りましょう。

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