今日のみ言葉【No.3609】(2025年 4月10日)「神の具体的方策(3)」

わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに、むなし手で去ってはならない。
(出エジプト記3:21)
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戒厳令が解かれた直後の台湾に行った時の話です。
かつて日本は台湾を統治し、現地の人々に日本語教育を強制しました。
その影響で、私が訪れた当時も、高齢の方々の中には日本語が通じる方がおられて、話しかけると、「懐かしい」と日本語での返答。
日本人として、かつて台湾の方々に犠牲を強いた歴史を思い起こし、複雑な思いになりました。
異民族が支配者となり、元から住んでいた人々を支配するという構図は、古代エジプトでも見られたことでした。
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イスラエルの民をエジプトから導き出すための3つ目の神の方策は、
「あなたがたは去るときに、むなし手で去ってはならない」
(出エジプト記3:21)
ということでした。
具体的には、
「女はみな、その隣の女と、家に宿っている女に、銀の飾り、金の飾り、また衣服を求めなさい。そしてこれらを、あなたがたのむすこ、娘に着けさせなさい。このようにエジプトびとのものを奪い取りなさい」
(出エジプト記3:22)
と神は命じられました。
金や銀、衣服を「奪い取れ」とは、一体どういう意味なのでしょうか。
実は、これらの物は後に、幕屋を建てるため、また聖所・至聖所の備品を作るために用いられることになります。
当時のイスラエルの人々にとっては、幕屋建設など想像もつかないことでしたが、神はその時すでに将来に備え、必要なものを集めさせておられたのです。
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しかし、「奪い取りなさい」とはひどいのではないでしょうか。
ここは少し専門的になりますが、説明が必要です。
先に述べたように、エジプトの人民とエジプトの王パロは民族が違っていました。
現代のように民主的に選挙で選ばれた王ではなく、王は民を力で支配する存在だったのです。
つまり、エジプト人民は、イスラエルの民同様、被害者側であったわけです。
従って、彼らはイスラエルの人々に同情し、好意的でした。
それが
「わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる」
(出エジプト記3:21)
という御言葉の背景にあることです。
さて、「奪い取りなさい」というヘブル語の語根「ナツァル」には「救い出す」という意味もあります。
ここでは、「奪う」ではなく「救い出す」と訳す方が、文脈にふさわしいように思えます。
そう訳すと、
「このようにエジプトびとを救い出しなさい」
となり、パロは残酷であったが、エジプトの民衆は人間愛にあふれていたことを立証せよ、ということになります。
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神は、ときに私たちが今すぐには理解できないことを、将来の祝福を見越して命じられることがあります。
たとえ理解できなくても、忠実に従いながら、一歩一歩、神の導きの中を歩む日々を共に歩んでまいりましょう。
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