今日のみ言葉【No.760】(2014年 2月12日)
しかしユダヤ人の長老たちの上には、神の目が注がれていたので、彼らはこれをやめさせることができず、
(エズラ記5:5)
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数多くの著書を発表されている中谷彰宏さんは、
「人は誰でも講師になれる」
という本の中で、講師になるための最も重要な条件をこう述べています。
「時間に正確なこと」
話すネタを豊富に持っているとか、パフォーマンスが上手であるとか、経歴が問題ではないというのです。
時間に正確であるという一つのことで、その人の社会的常識が確かであることが、ほぼわかるのです。
どんな仕事でも、忠実さが基本のようです。
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サマリヤ人の執拗な妨害に対し、神は二人の預言者を遣わし、イスラエルの民を励ましました。
これに応えて、彼らは再び神の宮再建の工事を再開します。
ところがまた工事をストップさせようと、言いがかりがつけられました。
その状況で今日の聖句があるのです。
「しかしユダヤ人の長老たちの上には、神の目が注がれていたので、彼らはこれをやめさせることができず、」
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どんな時にも私たちの上に神の目が注がれているとは何という恵みでしょうか。
悪魔は繰り返し攻撃し、私たちが神の御心を行うことを妨げようとします。
そして、
「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。」
(ヨハネ10:10)
とあるように、サタンは盗人ですから、私たちのやる気を失せさせ、「どうせ何をやっても無駄だ」と言わせるように企み、希望を奪おうとします。
しかし、
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」
(ヨハネ10:10)
とあるイエス様は、私たちの失われたところへ命を与え、更に成長させ、豊かな実を結ばせようとされるお方なのです。
このイエス様を信じ、信仰に堅く立つとは、今、この私のこの状況に、神の目が注がれている、と信じ、そこから離れないことです。
榎本保郎牧師は、この個所についてこう記しています。
「どんな状況の中にあっても主の目が注がれていることを信じて立つことである。その信仰に立つときにのみ、悪魔はなすすべを持たないのである。」
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私たちの教会のYさんは、戦後まもなく、病床で信仰を持たれました。
幸い完治し、教会に行こうとしましたが、昭和20年代の東北の田舎で長男がクリスチャンとして生きることは並大抵のことではありません。
Yさんは信仰を選び、家を出て、布団を持って来た以外何も無い、ゼロからの出発をしました。
Yさんのその後の人生は、まさしく、
「神の目が注がれていた」
ことを証しする人生でした。
製本業を営み始めたYさんは、どこにいても神の目が注がれていると信じ、裏表なく仕事をなさいました。
その忠実で確かな仕事ぶりは、ある学校の図書館司書から別の学校の司書さんへ、そしてその人がまた別の学校の司書へ…、と口コミで伝えら、仕事が次々と与えられました。
そこである社長さんがYさんに目を止め、独立をすすめ、病に倒れたあの時には想像も出来なかったクリスチャンビジネスマンとしての人生が始まったのです。
Yさんは肺結核を患ったので、肺活量は人の半分程度です。
その身体のハンディにもかかわらず、仕事をすることができ、さらに、聖書を無料で配布するギデオン協会の中心人物として社会的な奉仕もすることができました。
まさに、どんな状況の中でも、
「神の目が注がれていた」
のです。
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苦難の時こそ、神の目が注がれていることを覚えましょう。
イエス様は私たちを導き、豊かな命を与えて下さいます。
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