今日のみ言葉【No.752】(2014年 2月 1日)
彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、
(歴代志下33:12)
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ディズニーランドの創始者ウォルト・ディズニーの言葉です。
「過去の出来事に傷つけられることもあるだろう。でも私が思うに、そこから逃げ出すことも出来るが、そこから学ぶことも出来る」
“The past can hurt. But the way I see it, you can either run from it, or learn from it."
あのディズニーの言葉だけに、深い味わいがあります。
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南ユダ王国最悪の王と言われているのが今日登場するマナセです。
お父さんは名君と呼ばれたヒゼキヤ。
しかしその子マナセは、父にも学ばず、預言者たちの声にも耳を貸さず、誰の指図を受けようともせず、自分の思い通りに生きました。
その悪行三昧はこの章に記されている通りです。
神は彼にどのような処置をなさったのでしょうか?
神はアッスリヤの軍隊が攻めて来るのを許されました。
そして、
「彼らはマナセをかぎで捕え、青銅のかせにつないで、バビロンに引いて行った。」
(歴代志下33:11)
と書かれてあるような厳しい裁きを下されました。
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マナセは全く希望のない、絶望的状況に追い込まれました。
ここでどうするかが人生の分かれ道です。
彼は痛い思いをしなければ学ぶことが出来ない人間でした。
しかし、痛い思いをしても、恨みを増すばかりで学ぶことをしない選択も残念ながら取り得ます。
マナセはどうだったのでしょう?
彼は、
「その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低く」
しました。
王であるマナセに頭を下げる者ばかりの彼の人生で、初めて、彼が自分から頭を下げた体験だったのではなかったでしょうか。
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この
「砕けた悔いた心」
(詩篇51:17)
を神様は待っておられました。
「神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。」
(歴代志下33:13)
マナセは国に帰ることが出来たのです。
まことの神を知った彼の人生は、その後、全く正反対の生き方となります。
父ヒゼキヤ王のように神に従う人生を送るように変えられたのです。
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私たちがマナセの人生から学ぶことは何でしょうか?
それは、神はいつどんな時でも、私たちを待っていらっしゃるということです。
過去にどんな神に反する生き方をしていたとしても、悩みの中で神に祈る時、神はその祈りを確かに聞いて下さいます。
もう一つ学ぶべき事、それは、悔い改めは早い方がよい、ということです。
とことんダメになって多くを失ってから、ではなく、今すぐ見切りをつけ、神にすがる方がよいのです。
神の恵みは
「私がやらねば」
という思いを手放した時から燦々と降り注ぐからです。
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