今日のみ言葉【No.751】(2014年 1月31日)
そこでヒゼキヤ王およびアモツの子預言者イザヤは共に祈って、天に呼ばわったので、
(歴代志下32:20)
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強国アッスリヤの使者が、ヒゼキヤ王が治める南ユダ王国を挑発しにやって来ました。
彼らは他の国々を攻め取り、連戦連勝で自信を得ていました。
そして南ユダ王国をも攻め取ろうとし、全軍を率いてエルサレム目前まで来ていたのです。
「あなたがたは何を頼んでエルサレムにこもっているのか。」
(歴代志下32:10)
これは神に対する挑戦であり、戦わずして降伏することを求める誘惑でもありました。
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実績でも国力でも、ヒゼキヤと南ユダはアッスリヤには圧倒的に劣ります。
彼らの言うことを聞くしか無いのでしょうか?
いいえ、神を信じるものは、神に聞くのです。
「ヒゼキヤ王およびアモツの子預言者イザヤは共に祈って、天に呼ばわった」
(歴代志下32:20)
するとどうでしょう、
「主はひとりのみ使をつかわして、アッスリヤ王の陣営にいるすべての大勇士と将官、軍長らを滅ぼされた。それで王は赤面して自分の国に帰ったが、その神の家にはいった時、その子のひとりが、つるぎをもって彼をその所で殺した。」
(歴代志下32:21)
神が不思議な方法で働かれ、アッスリヤ軍は壊滅。逃げ帰ったセナケリブ王も自国で家族に殺されるという悲惨な運命をたどり、滅んでしまいました。
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「もう望みがないからあきらめようか…」
と思うのは、周囲の否定的意見や状況しか目に入っていないからです。
天に呼ばわったヒゼキヤとイザヤのように、私達も顔を上に向け、天に向かって
「神様、聖書にあるように、あなたがすでに助けを与えてくださっていることを信じます」
と祈ってみましょう。
そうすると、神のみ使いがあちらにもこちらにも働いた跡が見えてきます。
そこから私達は神の目でもって新たに現実を見ていく歩み方を始めることができるのです。
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神の助けを見出す一日として参りましょう。
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