今日のみ言葉【No.3569】(2025年 2月13日)「ミデヤンへの逃亡(1)」

しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。
(出エジプト記2:15)

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植物の枝を切ると、その傷口では修復作業と再生作業が始まります。

これを助けるのが水で、枝を水に差すと、根の再生を促すオーキシンというホルモンの流出が抑えられ、根が出やすくなります。

また、水中に溶けている酸素が、根の発生に必要なエネルギーを供給する役割を果たします。

命の水が、モーセの心にも再生作用を及ぼしました。

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殺人犯として追われ、ミデヤンの荒野に逃れてきたモーセ。

孤独、罪の自覚、失意のどん底…。

この状況の中で何かプラスになるものが芽生えるのでしょうか。

あります。

彼が

「井戸のかたわらに座していた」
(出エジプト記2:15)

というところに霊的ヒントが隠されています。

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長い逃亡の末にたどり着いたオアシス。

その井戸のかたわらで喉の渇きを潤し、モーセはしばしの休息を取っていました。

過ぎ去った過去のことをあれこれ考えても、何もプラスになることは出てきません。

また、この先の行くあてなど、どこにもありません。

モーセのこの時の現実は、実際の場所としての行き先がないだけでなく、自分の人生においても、また、心においても、その方向性を失っていた時だったのです

そのような時は、

「井戸のかたわらに座していた」
(出エジプト記2:15)

というのが正解です。

水は命の源です。

イエス・キリストが

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」
(ヨハネ4:14)

と言われたように、命の水であるイエス・キリストの「かたわらに座して」いると、人はいつでも次の段階に導かれるのです。

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モーセの場合、彼のしばしの休息を破るトラブルを目にします。

旅人だからと、それを無視して、関わりを避け、自分の身を守ることもできます。

しかし、彼は放っておけず、その中に身を投じ、関わりを持っていきます。

それが神の導きでした。

以下、次回に続きます。

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あなたという植物の枝が切られ、現実の厳しさにさらされる時があります。

そのような困難な状況に直面した時、私たちは立ち止まり、心を静かにする必要があります。

神とキリストのことを思い、ただ命の水に浸るのです。

そして、その時にこそ、神様からの導きや新たな力が与えられます。

あなたの「井戸」や「永遠の命に至る水」とは何ですか?

そのかたわらに座し、神の導きを受ける今日として参りましょう。

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