今日のみ言葉【No.3539】(2025年 1月 7日)「父と二人の息子の話(父と兄編)(5)」

兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
(ルカ15:28)

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お待たせました。

いよいよこのたとえ話の真の主人公が出てきます。

それは、放蕩した弟息子ではなく、愛ある父親でもなく、兄息子です。

なぜなら、このたとえ話はパリサイ人や律法学者たちに向けて語られたからです。

「そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった」
(ルカ15:3)

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イエス様がもたらした招待状を受け取らず、神の国の祝宴に入ろうとしなかったのが律法学者・パリサイ人であり、このたとえ話では兄息子です。

兄息子とは、この話を聞いている律法学者やパリサイ人たちの姿を表しています。

まず、彼らは罪人と一緒に食事をしているイエス様のことが気に入りませんでした。

「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」
(ルカ15:2)

律法学者やパリサイ人の考えでは、罪人は神の国に入ることはできません。

ですから、聖なるメシアが罪人と一緒に食事をするなどとは考えられません。

この一事をもって、

「イエスはメシアではない。なぜならこの男は罪人と交わっているから」

と彼らは断定したのです。

兄息子が祝宴の席に入らないということは、律法学者・パリサイ人は自らの意志で神の国に入らないということを表しています。

「兄はおこって家にはいろうとしなかったので」
(ルカ 15:28)

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しかし、今、パリサイ人として怒りの中にあろうと、後に神の真理に気づき、悔い改めてイエス様を救い主として受け入れるなら、その人は救われることがこの中に表されています。

それは、

「父が出てきてなだめると」
(ルカ15:28)

という一節です。

神は、

「神がいるなんてそんなバカなことがあるものか。神がいるならどうしてこんなことが起きるのだ」

と怒り心頭にいる者を、絶えずなだめ、神の愛に気づくように接しておられるのです。

さて、この後、兄はどうするのでしょうか?

以下、次回に続きます。

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神に怒りを覚える者をも神は愛し、常にそばにおられます。

ゆるしの世界に足を踏み入れる今日として参りましょう。

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