今日のみ言葉【No.522】(2013年 3月 9日)
岩の頂からながめ、丘の上から見たが、これはひとり離れて住む民、もろもろの国民のうちに並ぶものはない。
(民数記23:9)
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モアブの王バラクはイスラエルの噂を聞き、大変恐れ、預言者バラムを招いてイスラエルを呪わせようとしました。
民数記22章〜24章にこの辺のいきさつが書かれてあります。
ロバが人間の言葉をしゃべったり、呪ってくれと頼まれた預言者バラムが逆にイスラエルを祝福したり、神の言う通りにしたらなぜか怒られたりと、大変興味深い個所です。
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異邦人の預言者バラムの目から見たイスラエルは
「ひとり離れて住む民」
でした。
エジプトの奴隷状態から脱出し、他の民族との交流はなく、荒野の中を流浪する
「孤立した存在」
と見えたのです。
一見して、イスラエルのいる状態は大変寂しいものと映りました。
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ところが、もっとよく見ると、孤独ではなく、ユニークな存在だったのです。
当時の周辺民族は野蛮な儀式を行う原始的宗教の段階でした。
しかしイスラエルは彼らから切り離され、真の神と結び合わされていました。
ですから、
「もろもろの国民のうちに並ぶものはない。」
と評されるほどの素晴らしさが育っていったのです。
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私は不登校のお子さんの相談を受けたり、保健室に来る高校生のカウンセリングをすることがあります。
世の中で言う
「順調な生活」
というレールから外れ、周りの人たちから
「何やってんの?」
と思われている方々です。
中学 → 高校 → 大学 → 就職 → 結婚…、というレールに乗っていれば、人生にさしたる疑問も抱かず、楽に進んでいきます。
しかし、いったんその路線から外れてしまうと、自分で道を作っていかなければなりません。
「本当にこれで良いのか?」
と親も子も迷いながら、確かめつつ歩んでいく日々が続きます。
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しかし、これは別の見方をすると、人生の早い時期に、
「自分とは何者か?」
というアイデンティティー育成のための問いを繰り返し、
「私は私でよい」
という自分作りを結果的に実行しているということです。
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皆が乗ってしまったバスに乗り遅れ、ポツンと一人停留所に取り残されたような孤独を人生で味わうことがあります。
その時こそ、孤独でなく、ユニークな存在として生きるために神が与えて下さった時間なのです。
落とし穴にはまった、と考えるのではなく、神がここに導いて下さったと受け取り、自分育てをしましょう。
あなたならではの人生はその体験を土台として始まっていきます。
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神と共に、「ふたりぼっち」の一日を過ごして参りましょう。
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