今日のみ言葉【No.3499】(2024年11月12日)「100匹の羊の話(2)」
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
(ルカ15:4)
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「最大多数の最大幸福」とは、功利主義という哲学を代表する言葉です。
ある行動が最も多くの人の幸福に貢献すると考えられる場合、その行動は道徳的に正しいとします。
その考え方で行くと、狼に襲われる危険がありながら99匹の羊を野原に残し、迷い出た1匹の羊を探すことは不合理に思われます。
今日の聖書箇所がパリサイ人や律法学者たちに語られたということを外さなければ、妙な迷路に入り込んで聖書が分からなくなるということはありません。
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このたとえ話で、羊が人間を指すことはおわかりでしょう。
「百匹の羊を持っている者」とは、創造主なる神であり、牧者としてのイエス・キリストです。
「一匹」とは、取税人や罪人たちのことで、その羊が「いなくなった」というのは、神を無視して自分勝手な生き方をしているということです。
私たちの場合でも、道を間違えたと気づいた時、すぐに止まって、元来た道を引き返せる人は稀で、
「これでいいのかなあ。いや良いわけがない。でも、まあいいか」
と不安に思いながら、大概は惰性でそのまま進み、あきらめざるを得なくなった所で引き返します。
つまり、「一匹」の羊とは、自分が神から離れ、さまよっている生き方をしていると、罪を自覚している人たちです。
この人たちを救うために、イエス・キリストは天から地上にやって来られたのです。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」
(マルコ2:17)
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このたとえ話から、罪人を探すためにイエス・キリストは来た、ということが伝われば良いのです。
その中心的メッセージを捉えていれば、正しく聖書を読んでいることになります。
悔い改めを必要としている、と自覚し、この私を探していて下さるキリストの御手にすがって、今日も生きて参りましょう。
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