今日のみ言葉【No.3459】(2024年 9月24日)「招いた主人への教え(4)」
むしろ、宴会を催す場合には、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい。
(ルカ14:13)
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パチンコの技を競う番組で、対戦の前に司会者がこう尋ねました。
「今日、ここに来る前に、何か徳を積んできましたか?」
すると
「今日は出がけに家族に優しい言葉をかけてきました」
とか
「駅前の自転車が倒れていたので起こしてきました」
等々、次々と善行の報告がなされます。
まるで皆パチンコ教という宗教の信者で、善い行いをすると、そこの神様が
「そうか、それならば、今日、玉をジャンジャン出してあげよう」
と言ってくれて、現実にこれからそうなると信じ切っているかのようです。
善行を積むと天国に行けるのか?
果たして神はその取引に応じてくれるのでしょうか。
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イエス・キリストは、
「むしろ、宴会を催す場合には、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい」
(ルカ14:13)
と言いました。
このようにすれば自分にも良いことが起き、最終的に天国行きが確定するということでしょうか。
いいえ、違います。
これは、行為による義ではなく、信仰による義が行為となって現れることを言っています。
少し説明します。
人間は自分が為した行いによって、神が定めた「義」(正しさ)を得ることはできません。
ですから、救いを得る目的で「貧乏人、不具者、足なえ、盲人」を招くことは無意味です。
では、なぜそれをするように勧められているのでしょう?
これは、何事かをする前に、すでに自分はイエス・キリストを信じる信仰によって救われているので、
「こういう方々を喜んで招かせていただきます」
という行為となって現れる、ということです。
信仰が、義の行為(「貧乏人、不具者、足なえ、盲人」を招く)となるわけです。
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この人たちは返礼ができないというところがポイントです。
返礼がなくても与えるのは、将来、報われると信じる信仰があるからです。
与えることで自分の評判が良くなることを期待したり、現世で好感度をアップさせる意図を持ってやるのではありません。
現世ではなく、死んだ後によみがえり、救われた復活の体をいただいた後の世界で、神様は必ずその善い行いに報いて下さるという信仰があるので、愛の行為を行うのです。
その信仰の土台は、イエス・キリストの十字架による罪の赦いです。
信仰によって義人(正しい人)とされているということは、
「私はこのままで天国に入れられる。何も要求されていない。このままでOKだ」
ということです。
救われているから感謝。
その感謝の応答としての善行。
愛の神は私たちの愛の行為を見て報いて下さるという信仰。
その報いが完全に表されるのは、将来の復活の時である。
「正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」
(ルカ14:14)
とはこのようなことなのです。
この話は、神の国の霊的視点からの話です。
単純にこの世の処世訓や道徳的行いの勧めを語っているのではありません。
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正しい信仰を持って、愛の行為に励む今日として参りましょう。
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