今日のみ言葉【No.3363】(2024年 5月24日)「悔い改めの必要性(5)」
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。
(ルカ13:5)
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「悔い改め」の「悔い」は「ああ!あんなことをしなければ良かった…」と強く後悔すること。
「改め」は行いを正しいものに変えていくこと。
そう思っている人はいませんか?
しかし、後悔をいくら積み重ねても救いには至りません。
それはあなたの今までの人生を振り返ってみれば明らかでしょう。
また、行動を変えるといっても、人間は神の御心の通りに生きられないのでイエス・キリストがこの世に来られたのです。
ですから、
「はい、すいません。これからはまじめにちゃんとやります」
は、この世での悔い改めとなるかもしれませんが、聖書の言う救いに至る悔い改めとはなりません。
日本語の「悔い」と「改め」の漢字から悔い改めの意味を類推するのではなく、イスラエルに対して神が使う「悔い改め」の意味を知らなければなりません。
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悔い改めは、新約聖書が書かれたギリシャ語でメタノイアと言います。
これの基本的意味は、
「考えを変える。思いを変える」
ことです。
ルカ13章での「悔い改める」、すなわち「考えを変える」とは、
「イエスはメシア(救い主)である」
と人々の考えが変わることを言います。
当時、イエス様についてきた群衆が、皆一様に「イエスは救い主だ」という「思い」を持っていたかというと、そうではありません。
イエスは悪霊のかしらベルゼブルによって奇跡を行っているのだと考え、監視していた人がいました。
イエスは革命家だと考え、ローマ帝国の支配から解放してくれる人だと考える人がいました。
イエスは偉大な教育者だと見て、その教えに聞き惚れていた人がいました。
イエスを愛の実践者と見て、その愛に浸りに来た人がいました。
イエスは罪人の友だとして蔑(さげす)んだ人がいました。
この人々の考えが、「イエスは救い主である」と変わることが「悔い改め」となるのです。
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事態は急を要していました。
ルカ13章のこの時点では、イエス様の伝道は3年を終え、十字架まであと半年という位置にあったからです。
人々はそんなことは知らず、イエス様だけが時の限りを見つめておられました。
それが6節からの「いちじくの木と園丁のたとえ話」につながっていきます。
以下、次回に続きます。
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「イエスは救い主である」という考えに「悔い改める」今日として参りましょう。
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