今日のみ言葉【No.648】(2013年 9月13日)

宮は建てる時に、石切り場で切り整えた石をもって造ったので、建てている間は宮のうちには、つちも、おのも、その他の鉄器もその音が聞えなかった。
(列王紀上6:7)

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シーンとした建築現場を想像できるでしょうか?

トンカン、ガリガリ、という音が終始響き渡り、威勢のよいかけ声があがるのが普通です。

しかし、ソロモン王が建てた神殿建築の場は静かでした。

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その理由は、

「石切り場で切り整えた石をもって造った」

からです。

事前に寸法に合わせ、極めて正確に石が切り整えられました。

ですから、神殿を組み立てる時にいちいち修正のために削ったりする必要はなかったのです。

すべて、所定の位置に、スーッと石が入り、ゴリゴリという音が立つことはありませんでした。

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神の業とはこのようなものです。

成る時にはあっという間にスイスイと事が運ぶのです。

そして一つの無駄もなく、

「あの事はこのためにあったのだ」

と納得できるみ業が目の前に展開されます。

「石切り場で切り整えた石をもって造った」

からです。

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私たちという石が切り整えられる時期があります。

何のために削られているのか、その時は全く分かりません。

また、結果としてなぜこんな形になってしまったのかも分かりません。

しかし、神の業が成る時には、スーッと何の障害もなく、音もなく静かに、そしてピタリと自分という存在が用いられるのを発見します。

神の業のために削られるのは痛みを覚えますが、神の目的のために削られていることだけは確かなのです。

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主の御手にゆだねる一日として参りましょう。

神は痛みをも与えますが、栄光の業を成して下さいます。

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