今日のみ言葉【No.628】(2013年 8月 7日)
われわれの民のため、われわれの神の町々のため、勇ましくしましょう。どうぞ主が良いと思われることをされるように。
(サムエル記下10:12)
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ダビデの将軍ヨアブは「戦いが前後から自分に迫ってくる」のを見ました。
前にはスリヤ軍、後ろにアンモン軍。これはかなりの形勢不利な情勢です。
ヨアブが弟のアビシャイに語った言葉が今日の聖句です。
口語訳聖書では
「どうぞ主が良いと思われることをされるように」
新改訳聖書では、
「主はみこころにかなうことをされる」
と訳しています。
冷徹な合理主義者のヨアブは、自分の戦死をも想定した上で、主の御心は成されると語ったのです。
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時に、
「どうせ御心しかならない…」
と、神の御心が成ることが
「ただの成り行きだ」
と捨て鉢な気持ちになることがあります。
「何をやっても無駄。流れに乗って流されるだけ。なるようにしかならない。」
と、無気力・無抵抗でいることが
「御心に従う」
ことだと思う人は私だけではないと思います。
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ヨアブは神の御心にゆだねた人でした。
しかし、
「どうぞ主が良いと思われることをされるように」
と語った後、彼は勇猛果敢に戦う方向に人生を定めました。
ヨアブは自分の努力では事が決まらず、神の御心しかならないと理解し受け入れました。
しかし彼は手抜きをしたり、あきらめたりはせず、全力で生きることを決心し、敵に立ち向かいました。
神の御心が成ると信じ、成功も失敗もその結果を神にゆだねた人は、自分の最善を尽くすことのみにエネルギーを注ぐようになるのです。
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さて、戦いのその後はどうなったでしょうか?
「ヨアブが自分と一緒にいる民と共に、スリヤびとに向かって戦おうとして近づいたとき」
なんと
「スリヤびとは彼の前から逃げた」
(サムエル記下10:13)
とあります。
雇われ兵のスリヤ人は自分の命が惜しくなったのでしょう。
それを見て後方のアンモン軍も逃げ出して町に帰ってしまいました。
ヨアブは戦わずしてエルサレムに帰るという予想外の結果が起きたのです。
神が戦われるとはこのようなことを言うのです。
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うまくいっても行かなくても、神にゆだねましょう。
最善が成された、と気づくのはもっと後のことになるかもしれません。
しかし、今、目の前の問題に全力を傾けて取り組むのです。
神様は私たちの思いを遙かに越えた結果を用意していてくださいます。
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神にゆだねて全力で生きる一日を送ることが出来ますように…。
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