今日のみ言葉【No.3240】(2023年12月 6日)「エサウとの再会(5)」
ヤコブは、「わたしがさきに送る贈り物をもってまず彼をなだめ、それから、彼の顔を見よう。そうすれば、彼はわたしを迎えてくれるであろう」と思ったからである。
(創世記32:20)
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2021年の東京オリンピック開催直前まで、
「海外から選手団はじめ大量の人が来るのだから、日本国内でのコロナ感染は爆発的に拡大する」
と不安を煽る情報が流れ続けました。
日本の関係者は科学的情報に則った準備をし、粛々と実行しました。
結果は、今私たちが
「そんなことあったっけ?」
と忘れているほど、恐れていたことは起きませんでした。
このことから、客観的事実に基づいた準備と、感情に振り回されない選択が必要だということが学べます。
ヤコブはどうしたでしょう。
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残念ながら彼には現在のエサウに対する客観的情報が乏しく、過去の事実に基づいた推測しかできませんでした。
そうすると、
「恨まれている」
「復讐されるに決まっている」
という恐れの感情に基づいた対策ということになります。
そこでヤコブは、エサウにいくつもの贈り物を用意し、彼が持っているであろう怒りの感情を「なだめ」ようとしました。
「わたしがさきに送る贈り物をもってまず彼をなだめ、それから、彼の顔を見よう。そうすれば、彼はわたしを迎えてくれるであろう」
(創世記32:20)
ヤコブは群れを3つに分け、それぞれに隔たりを置き、エサウに「次々と贈り物が来た」という感覚を味わわせ、自分に好感を持ってくれるように策略を巡らしたのです。
彼がこのようにしたのは、自分の命を救うためです。
もしエサウが復讐の念に燃えており、ヤコブの財産を奪い、使用人を殺したとしても、3段階も隔たりを置いているのですから時間稼ぎができます。
これは、エサウに追いつかれないように、自分はいかにして逃げられるだろうかと考えた末の人間的知恵です。
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その究極は、ヤボク川の対岸に家族を渡らせ、自分は一人戻ってきたことです。
「彼はその夜起きて、ふたりの妻とふたりのつかえめと十一人の子どもとを連れてヤボクの渡しをわたった。すなわち彼らを導いて川を渡らせ、また彼の持ち物を渡らせた」
(創世記32:22-23)
そしてこの後、
「ヤコブはひとりあとに残った」
(創世記32:24)
とあります。
ここは厳しい解釈になりますが、たとえ全財産が奪われ、家族が捕らえられて殺されても、自分だけは逃げて助かるためにヤボク川を挟んだ元の場所に戻ったということです。
これがヤコブの本性であり、人間の本性です。
人はどうあれ、自分だけは助かりたい。
これが人間の罪の極みです。
しかし、このヤコブを神は見捨てることなく、逆に捕らえて放しません。
有名な
「ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした」
(創世記32:24)
というシーンです。
以下、次回に続きます。
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恐れによって人はあれこれと動かされます。
信仰によって動く今日として参りましょう。
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