今日のみ言葉【No.552】(2013年 4月23日)

そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固です。しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう。
(ヨシュア記14:12)

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カレブがヨシュアと共にカナンの地を偵察に行った時は40歳でした。

今日の聖句のカレブはこの時85歳。

しかし彼は意気盛んです。

「今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。」
(ヨシュア記14:11)

カレブは、とりわけ攻略が難しいアナキびとの地に自分を遣わしてくれとヨシュアに願います。

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カレブは自分の体力、知力、若さに自信があったからでしょうか?

もしそうなら、彼はアナキびとに負けていたでしょう。

ここは、

「しかし、主がわたしと共におられて」

という一節がポイントです。

神が共におられることを信じ、神のみ旨に生かされる人生を歩む中で神の勝利を体験できるのです。

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年をとれば誰でも実績が残ります。

すると、自分が今まで学んできたこと、成し遂げてきたことの上に安定を図るようになります。

無駄をなくし、今までのものを全て生かそうとするこの生き方は、残念ながらうまく行ってしまいます。

このような生き方をする人が、この世の「成功者」と呼ばれるのです。

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自分に自信を持つことは、徐々にできていくことです。

誰でも

「私にやれるかな?」

と一抹の不安を持ちながら「えいっ!」と現実のただ中に飛び込んで泳いでいます。

その中で確かな自信というものが培われていきます。

ですから、いったん得た「自信」というものを手放すことは難しいのです。

しかし、神の価値観とは、

「主がわたしと共におられて」

何を成そうとしているか、です。

85歳の老年に達しても、新しいことに生き生きと取り組めるのは、

「主がわたしと共におられる」

という信頼の上に立って生きているからです。

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カレブは85歳になってこの境地に達した…、のではありません。

40歳にして神への信頼の中で生かされていました。

私たちも、修行や経験を積んだ上でようやく神への信頼に到達するのではありません。

今、このとき、

「主が成して下さる」

と信じる決心をした瞬間、カレブと同じ人生を生きているのです。

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神への信頼を新たにして参りましょう。