今日のみ言葉【No.2940】(2022年11月 4日)「弟子も十字架を負う(1)」

それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ9:23)

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食事の時、親は愛する子供に、

「好き嫌いをしないで、何でも万遍なく、よく噛んで食べなさい」

と教えます。

それが健全な成長の鍵だからです。

「おいしくないな」と思う食べ物でも、少しずつ食べようとチャレンジするのが「弟子」です。

うまいところだけ選り好みして食べるのが「群衆」です。

今日の聖句は、「だれでもわたしについてきたいと思うなら」という条件がついているので、弟子向けに語られた言葉として理解すべき箇所です。

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弟子とは、

「どうしてもイエス様のように生きて行きたい」

と願って従ってきた人たちです。

ですから、今日の聖句は群衆には向けられていません。

あくまでも「弟子」向けですから、あなたが「群衆」なら当てはまらない箇所です。

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イエス様は、「わたしについてきたい」と思う人たちに、「自分の十字架」を負えと命じられました。

弟子も十字架を負わなければならないと言われたのです。

これはどういうことでしょうか?

まず知らなければならないことは、十字架とはローマ帝国の死刑の道具だということです。

ここは文字通りにその十字架用の木材を持ち運ぶということではなく、比喩的表現であることは明らかです。

自分の十字架を負うとは、自分自身の処刑の道具を自発的に背負うこと。

つまり、死に至るまでキリストに従うことであると解釈されます。

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この聖書箇所は、とても重要で、深い意味を持っているところなので、今後数回に分けて同じ聖句でお届けしようと思います。

み言葉メールをここまでお読みになり、毎回、飛ばさずに読むあなたは弟子の資格十分です。

自分にとって都合の良い箇所だけつまみ食い的に読む人は、まだ群衆の域を出ていないからです。

しばらく、火曜・金曜はこの聖句からの話になりますが、お付き合いできる方はお読みください。

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イエス様は、「だれでもわたしについてきたいと思うなら」と、従うことをあなたの選択に任せておられます。

あなたの自由意志でお選びください。

人間に自由を与えた神は、あなたが自由に選択することを喜ばれるのです。

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