今日のみ言葉【No.2904】(2022年 9月20日)「十二使徒の派遣(6)」
さて、領主ヘロデはいろいろな出来事を耳にして、あわて惑っていた、…、そしてイエスに会ってみようと思っていた。
(ルカ9:7、9)
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旧統一教会問題から「宗教二世」の存在があぶり出されました。
親の宗教を信じさせられた人たちのことです。
正しい信仰が成立するためには、信じることも信じないこともできる自由が保証されていなければなりません。
それはどんな悪を行っている人でも同じで、領主ヘロデに関しても神のお取り扱いは同じです。
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「さて、領主ヘロデはいろいろな出来事を耳にして、あわて惑っていた」
(ルカ9:7)
とあります。
彼はイエス様の弟子たちの伝道の働きを耳にし、
「ヘロデが首を切ったバプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ」
と言う人々の話に心が揺さぶられたからです。
このヘロデとは、イエス様が生まれたときのヘロデ大王の息子で、正式名称はヘロデ・アンティパスです。
彼は優柔不断で、自分の考えに自信がなく、強く主張する人の意見に左右されやすい男でした。
実際、マルコはこう書き記しています。
「それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである」
(マルコ6:20)
バプテスマのヨハネが説く聖なる教えに感動し、自分の罪に気づいて恐れている反面、ヘロデヤとの肉の生活を捨てきれずに矛盾を抱えたまま生きているのがヘロデ・アンティパスの姿でした。
これは誰あろう、私の姿ではないかと気づく人は幸いです。
ヘロデに注がれる神の愛は自分にも注がれていると気づくことができ、また、彼の失敗から学んで、罪の人生から離れる選択の機会があるとわかるからです。
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ヘロデの妻ヘロデヤはバプテスマのヨハネの言葉に怒り、策略をもってヘロデにヨハネの首を切らせます。
ヘロデには心残りがあったのです。
ですから、
「そしてイエスに会ってみようと思っていた」
(ルカ9:9)
という心境になったのです。
神はこの男に悔い改めとイエス・キリストへの信仰を持つチャンスを与えます。
イエス様がローマ総督ピラトのもとに連れられてきた時です。
「ちょうどこのころ、ヘロデがエルサレムにいたのをさいわい、そちらへイエスを送りとどけた」
(ルカ23:7)
ピラトとしては、こんな問題には関わりたくないので、これはガリラヤ地方の問題だからと、ガリラヤの領主ヘロデのもとにイエス様を送り届け、そちらで処理するようにと丸投げしたかったのです。
「ヘロデはイエスを見て非常に喜んだ。それは、かねてイエスのことを聞いていたので、会って見たいと長いあいだ思っていた」
(ルカ23:8)
というところまでは良いのですが、続いて、彼の本心が見えています。
「イエスが何か奇跡を行うのを見たいと望んでいたからである」
(ルカ23:8)
神は、ヘロデがバプテスマのヨハネの話を聞いた時、弟子たちの働きの噂を耳にして心揺さぶられた時に彼に会っていてくださっていました。
そして、最大にして最後のチャンスであるイエス様本人に会って話ができる機会が与えられたのです。
しかし、この時まで、彼の心は全く成長していませんでした。
神はヘロデがどんな悪人で、心の弱い男であっても、救いと悔い改めのチャンスをこのようにお与えになっています。
しかし、宗教二世の子たちのように、信じ込ませようとはなさいません。
聖書が啓示する神を信じ、キリストの救いを受け取ることは、あくまでもその人の自由意志にゆだねられ、その人自身が自分の意志で決断することなのです。
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では、先に信仰を持ったあなたはどうしたらいいのでしょうか?
ガンガン御言葉を伝えて、とにかく信仰に導くことが良いことだと思っていたら、その行く先に雲がかかっているように見える現代ではどうしたらいいのでしょうか?
榎本保郎牧師はその辺の消息をこのように書いておられるので、少し長くなりますが、引用します。
「家族や親族、また職場でいっしょに生活する人たちに対して、どうせ信じないだろうと宣べ伝えないことがある。信じる、信じないは別なことであって、宣べ伝えるのは信じさせるためになされているのではない。『宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか』(ローマ10:14)というパウロの言葉をまちがえて、私たちがイエスを信じる者、キリスト教を信じる者を作らねばならないように思う」
「軽々しく人になど言うまいというような顔をして、『ほんまに物価が高くなりましたなあ』などと、なんの足しにもならないことを話したりすることが多い。牧師は宣べ伝えるために、いっさいをささげているのである。その牧師が、宣べ伝えるべき福音を、言わないようにしているのはおかしい。そこには信じさせようという気持ちがあるからだと思う」
「もちろん私たちは、信じてもらいたいという希望はあってもよいが、私たちの分野は、私が聞いた福音、見た福音、ふれた福音を、謙虚な思いを持って語っていくことであり、それが信じられるかどうかは、その人と神との問題である。福音を伝えることが、選ばれた人たちに与えられた務めであり、また私たち自身にも与えられた務めである」
(『新約聖書一日一章』、榎本保郎著、主婦の友社、P118-119)
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与えられた神の恵みに感謝し、あなたが体験した福音を伝える日々を送って参りましょう。
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