今日のみ言葉【No.2895】(2022年 9月 8日)「アブラハム契約の確認(3)」
男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。
(創世記17:10)
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昨日のメールで美空ひばりさんの本名を「加藤和子」と表記しましたが、正しくは「加藤和枝」の誤りでした。
これはお詫びして訂正しなければなりません。
このような不注意による誤りを私は数限り無くしでかしてきましたし、良かれと思ってやったことでも結果として悪く、人間関係で何回も相手を怒らせ、「地雷を踏んだ」という経験をしています。
そのようなことが続くと、いつか神の祝福の契約から外されてしまうのでしょうか?
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答えは「No(ノー)」です。
神がアブラハムと結んだ契約は無条件契約なので、人間側の失敗や不従順な行為があったとしても、契約終了とはなりません。
あくまでも神主導で進み、祝福の契約は止まらないのです。
ただし、神は人間側の応答を求められます。
それが今日の聖書箇所の割礼です。
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割礼に関しては、御言葉メールの「キリスト教イロハ」シリーズで詳しく取り上げているので、そちらを参考にして下さい。
イスラエルの男子は生後8日目に性器の皮を切ります。
アブラハムを通して受け継いだ祝福となる契約を身に刻んでいるということで、まさしくアブラハム契約の「しるし」なのです。
ただし、割礼をしないと契約が受け継げないということではありません。
また、割礼を施しているから契約が成立しているということでもありません。
これはあくまでも神への応答を表す行為なのです。
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クリスチャンの場合は、洗礼がこれにあたります。
救いは信仰によってのみですので、洗礼を受けなければ救われないということではありません。
イエス・キリストを救い主と信じた時点で救われており、洗礼を受けても受けなくても救いは完成しているのです。
そうなると、
「別に洗礼式なんてやらなくてもいいんじゃないですか。大体私は大勢の人の前で自分の姿をさらすなんて恥ずかしいです。やるなら人目につかないところでやってください」
と言う人が出てきます。
洗礼は信仰の従順を表すものです。
神は救われた者に愛の応答をすることを期待しておられます。
その意味で、
「私はイエス・キリストを信じています」
と自分の信仰を公に表し、神への応答として洗礼式をするのです。
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まず恵まれることが一番。
神の恵みに応答していきたいという思いを、行動として表す信仰生活を心がけて参りましょう。
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