今日のみ言葉【No.2285】(2020年 6月 3日)「希望の持ち続け方(3)」

ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
(ヘブル10:25)

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コロナ離婚と熟年離婚は似ているのだそうです。

どちらも今まで外で働いていた人が家にいるようになり、夫婦が四六時中顔を突き合わせることになります。

すると、お互いの行動の一つ一つが見えるので、気に障ることが多くなります。

それらが積もり積もって、「もう息が詰まってどうしようもない」という煮詰まった関係になり、別れ話に発展するというわけです。

さて、聖書は集まることが希望になると言っていますが、何が違うのでしょうか?

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教会はギリシャ語で「エクレシア」と言います。

これは「呼び集められた者たち」という意味です。

教会とは神様から呼び集められた者の群れなのです。

ですから当然、キリスト教では集会をします。

コロナ禍の真っ最中は非常事態なので、やむを得ず集まることをしないで過ごすこともありましたが、基本的には

「集会をやめることはしないで」
(ヘブル10:25)

とあるように、神を信じる者たちが共に集まることは神の御心にかなったことなのです。

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ではそこで何をしたらいいのでしょう?

集まった先ですることは、今日の聖句にあるように、互に励ますことです。

相手の良い所を見つけてほめたり、その努力を認めて、将来実を結んだ姿を思い描いて語ってあげるのです。

たとえば、私が教鞭をとっている先の学校で、ある学生が授業中に居眠りをしていました。

私は授業後、早速その人を励ましました。

「あなたには前から言いたかったことがあるんだけど…」

その学生はドキッとしたようでしたが、私は構わず続けてこう語りました。

「君は自分ではわからないだろうが、存在感があるよ。他の人は罪責感を持ちながら寝ているが、君は堂々と寝ている。あなたの圧倒的存在感は大したものだ。将来は影響力を持った人になるだろうなあ」

最初は叱られると思って防御的に聞いていたその学生は、段々安心してきた様子を見せ、最後には

「先生も元気で若くていいですね」

と励ましてくれました。

互いに励ますことは生きる力を与えるのです。

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さて、クリスチャンが一般のケースと違うところは、

「かの日が近づいているのを見て」
(ヘブル10:25)

という点です。

先ほどの夫婦なら、その目は相手のアラを見ていますが、聖書が教える目を向ける場所は、「かの日」です。

それは世の終わりの日であり、キリストの再臨、そして神の国の実現の日です。

私たちはその方向に目を向けるのです。

つまり、お互いが共通したビジョンを持ち、そちらの方を見て歩き、共に励まし合いながら一緒に進んでいく生活をするということです。

マスクをつけて3密を避けることが「新しい生活様式」として奨励されているのなら、それと同じように、世の終わりの先にある神の国を共に見つめ、励まし合うために集まるのがクリスチャンに推薦される「古くからの生活様式」です。

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集会を続け、天国の希望を抱きつつ共に励まし合うこと。

神の国の生活様式を実行する今日として参りましょう。

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