今日のみ言葉【No.431】(2012年10月23日)
富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。よく聞きなさい。あなたがたは、自分の身に降りかかろうとしているわざわいを思って、泣き叫ぶがよい。
(ヤコブ5:1)
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聖書では神が人間に豊かさを与えようとする言葉が随所に見られます。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」
(創世記12:2)
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」
(ヨハネ10:10)
ところが今日の聖句を読むと、富んでいることが災いであるかのように書かれています。
神が人を祝福し豊かにさせようとしていることと、富んでいる人の悲惨な運命とをどのように考えたらよいのでしょうか?
お金持ちになることだけは悪で、その他の知識や愛や体力に富むことは許されているのでしょうか?
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これは3節の
「終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている。」
という言葉がヒントとなります。
特に、
「なお」
という言葉がキーポイントになります。
つまり、自分のために
「もっと、もっと」
と宝を集め続けているが、その宝によって自分が食い尽くされることを知らないでいる人間の愚かさを突いているのです。
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神の祝福は、それを与えられた者から他者へ分け与えられていくべきものです。
そのことを聖書では
「祝福の基となる」
という言葉で表現しています。
お金を儲ける才能が与えられている人は、どんどん富を増やし、それを他者のために使うことです。
知的に優れて受験競争の勝者となった人は、その知的能力を他者のために使うことです。
体力に富み、運動能力に優れている人は、その体力を他者のために生かして用いることです。
やさしい心を養われてきた人は、その愛を他者のために用いることです。
あなたが神から祝福を与えられ、その祝福を更に分け与えるための
「祝福の発信地」
として生きることが神の基本的御心なのです。
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「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。」
(マタイ6:19)
「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」
(マタイ6:20)
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天に宝を積む生き方を今日も送って参りましょう。
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