今日のみ言葉【No.430】(2012年10月22日)
あなたがたは、求めないから得られないのだ。
(ヤコブ4:2)
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来年幼稚園に行く男の子が、おじいちゃんおばあちゃんの家に行き、イチゴの苗を植えました。
帰りの車の中で、
「ママ、明日も行く。」
と何度も繰り返して言うので、お母さんが、
「どうして?」
と聞きました。すると、
「だって、明日イチゴ食べられるもん!」
何とも可愛いお孫さんです。
今日植えて、明日イチゴは実らないにしても、毎日水をかけ、お世話をしていけば、やがて真っ赤なイチゴを収穫できる日が来ることでしょう。
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今日の聖句、
「求めないから得られないのだ。」
とは、信仰の鉄則でしょう。
これは裏を返せば、
「求めたら得られる」
ということです。
可愛いお孫さんがイチゴを求めたら、明日には叶わないでしょうが、求め続けていけば、きっと得られるのと同じです。
神に求めていく時、神はその求めに応えて下さるのです。
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しかし、求めても与えられない時があります。
続く3節にそのことがこう解説されています。
「求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。」
(ヤコブ4:3)
自己中心の思いから求めていく時です。
また、あからさまにジコチュー丸出しでなく、人間は上手に自分を欺いて、神の御名があがめられる求めをしながら、同時に自分の名のために求めることがあります。
求めても与えられない時は、自分をチェックする絶好の時です。
そこに、私たちの求めをきよめ、出来るだけ人間の自己中心を取り去ろうとされる神のご計画と訓練があるのです。
私たちはこの訓練に耐えられず、何度も挫折し、求めることをやめてしまいます。
しかし、神は
「求めても与えられない」
という訓練を通して、私たちの祈りをきよめ、真実に聞こうとしておられるのです。
ここに、求め続け、忍耐して求めていく理由があります。
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ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子先生は、かつて修道院を出ようと考えたことがあったそうです。
それは、「くれない族」になったからです。
「分かってくれない、慰めてくれない、お辞儀してくれない、感謝してくれない」という思いで過ごす人が「くれない族」です。
36歳で学長という大役を担っても、誰も「シスター大変ですね」と慰めてはくれません。
そこで上司の神父に相談したところ、神父はほほえみを浮かべて、
「あなたが変わらなければ、何も変わらない」
と言われました。
渡辺和子先生はここで方向転換をしました。
幸せにしてもらおうとして、周りにそのことを求めてきたが、むしろ自分がすすんで学生に挨拶をし、笑顔で接するようにしたのです。
これは心の感覚で言うと、自分が損をするような感覚です。
しかし、そのような態度をとるようになってから、学校が明るくなったそうです。
幸せの求め方を神様は変えて下さったのです。
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神は求めに応じて下さいます。忍耐強く求め、更にきよめられた求めへと変えられて参りましょう。
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