今日のみ言葉【No.417】(2012年10月 6日)
しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
(ヘブル4:2)
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「証し(あかし)」という教会用語があります。
神が自分にこのように働いて下さった、という体験談です。
これをクリスチャンでない人が聞く時、戸惑うことがあります。
それは、
「神様の声が聞こえました」
という表現が使われる時です。
もちろん神様は奇跡を行われますから、私たちの耳に肉声として聞こえることもあるでしょう。
しかし、通常の場合、もし実際に音声として聞こえるのでしたら、まず病院に行くことを最初に考えた方が良いでしょう(^^;;)。
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神の声が聞こえる、とは、心の中で神様が自分に語っておられるように感じることです。
それも、あやふやな感じではなく、まさしく私に向けて語られたとしか言いようのない体験です。
このことを客観的に証明する事は出来ません。極めて主観的な出来事だからです。
周囲の人にとっては、
「たまたま聖書のそのページを開いたからじゃないの?」
「あなたの思いこみじゃないの?」
という程度にしか見えません。
しかし、当の本人にとっては、
「私に向けて神様が語って下さった。」
「この御言葉によって立ち直る力が与えられた。」
と言わしめるほどの強力な体験なのです。
御言葉が信仰によって結びつく、とはこのようなことです。
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紙の上にインクが乗っているだけに過ぎない書物が、神の言葉として受け入れられるのは、あなたが神様に祈っているからです。
祈りは神への求めです。
「神様は私の祈りを聞いていて下さっている。」
と信じているから私たちは祈れるのです。
御言葉と信仰を結びつけようと自分に無理強いする必要はありません。
ただ自分の窮乏を神様に述べるだけでよいのです。
それが祈りです。
その祈りを捧げている人だけが、
「神様は聖書を通してこのように語って下さっているのだ。」
と感じることが出来ます。
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たとえ僅かな祈りでも、それを積み重ねていきましょう。
神は最善のタイミングで私たちに語りかけて下さいます。
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