今日のみ言葉【No.2710】(2021年12月22日)「干し柿の人生」
わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。
(詩篇130:5-6)
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冬になると干し柿を食べるのが子供の頃の楽しみのひとつでした。
表面の白い粉は内部の糖がしみ出て結晶になったもので、意外なことに、甘柿より渋柿のほうが糖分が多いので、甘柿を干し柿にすると白粉は出にくいのだそうです。
また、ただ干しておけばいいのではなく、これを出すにはいくつもの工夫と時間が必要です。
神の祝福は、選択と待つ時間によって得られます。
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今日の聖句は、ただひたすら夜明けを待つ夜回りの心境から、神を待望する心を歌っている詩篇です。
真っ暗闇の夜のように希望も先行きも見えない時、必ず暁(あかつき)があると信じて神の光を待つとはどのようなことでしょうか。
それは、
「そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます」
(詩篇130:5)
とあるように、ただただ神の約束の言葉を握りしめ、神の光を心の中に先取りして心の痛みを和らげる時間の連続でしょう。
その間、何度も希望と失望の時間を繰り返します。
落ちては上がり、落ちては上がりなのです。
この待つ時間、いいえ、待たされる時間によって、知らず知らずの内に私たちは忍耐を身に着けています。
待ち望みの実際とはそのようなものです。
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そして大事なことは、いったん暁がやって来て、神の光が差し込んできたら、その光を受ける選択をするということです。
意外にも、
「どうせ無理」
「今までだってできなかったのだから」
と、恵みに浴さない選択をする人がいるものです。
朝の時間になってもカーテンを締め切って開けない「渋柿」のような人たちです。
しかし、この方々こそ、外に干され、寒風に吹かれる中で、甘柿には出せない白粉を吹き出すのです。
アンドリュー・マーレーはこう勧めています。
「ただここに、自然界と恩寵の世界の相違点があります。それは、木や花は全く意識することなしに光の祝福を受けますが、私たちは意識的に、自ら進んで、愛をもって受けるということです。信仰−−神のみことばと愛に対する単純な信仰−−を持つことは、神に対して心の目を開くことです。こうして私たちは、言い尽くせない神の恩寵の栄光を受けるのです」
「樹木が、来る日も来る日も、また毎月毎月、そこに立って太陽の光を受けるというそのことだけによって美しく成長し、多くの実を結ぶように、私たちキリスト者の生活においても、ただなすべきことは、私たちが神の光の中にとどまり、その光が、神が、私たちにいのちと輝きを満たして下さるようにすることです」
(『神を待ち望め』、アンドリュー・マーレー著、小出忍訳、いのちのことば社、P79)
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白い粉に包まれた干し柿として、神の恵みを表す一日を送って参りましょう。
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