今日のみ言葉【No.345】(2012年 7月 6日)
あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。
(第1コリント3:3)
——————
コリントは一大商業都市として栄えていました。
しかも港町でしたので、様々な人々が行き交う遊興の街でもありました。
その中から救われた人々ですから、コリントの教会は聖人君子の集まりではありません。
様々な価値観が横行し、一般の人から見ても「それはひどい」と指摘されるようなこともあったのです。
-*-*-*-*-*-*-
パウロはその現状を知りつつ、コリントの手紙の冒頭で、
「キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ」
(第1コリント1:2)
と、彼らを「聖徒」と呼んでいます。
しかし今は「肉の人」なので、本当の意味での「聖徒」を目指して歩んでいきましょう、と、パウロは時に叱責し、時に慰め、コリント教会の人々を導いているのです。
-*-*-*-*-*-*-
クリスチャンはどんな人でも「聖徒」です。
神の恵みで罪許され、全くの無罪としてどこにも罪は認められなくなったからです。
つまり、肩書き先行で、中身は後からです。
外見は「隣人愛に富む人」と見えても、中身は自己中心の塊で、自分のためならいざ知らず、人のためには1円の犠牲も払いたくない、という私が「聖徒」と見られているのです。
自分が妬んだり争ったりする「肉の人」であることを認めましょう。
次に、その私が赦され「聖徒」とみなされている恵みに感謝することです。
そこから安心して「聖徒」に近づこうと励んでいくのがクリスチャンの生涯です。
-*-*-*-*-*-*-
今日も主の平安の中に包まれますように…。
-*-*-*-*-*-*-
※み言葉メールの自動登録と解除、バックナンバー
●空メールを送信して下さい。
・登録 reg@mikotoba.org
・解除 del@mikotoba.org
●バックナンバー
https://mikotoba.org
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません