今日のみ言葉【No.338】(2012年 6月28日)
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
(ローマ12:1)
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ローマ人への手紙は、11章までが神学的理論の部分で、12章からは信仰生活の実際についてのすすめが書かれてあります。
どういうことかというと、クリスチャンは
「こうすべき、ああすべき」
「○○をせよ、××してはならない」
がたっぷり載せられているということです。
このような倫理・道徳的行いは、あくまでも信仰の実であって、目的ではありません。
教会は修養団体ではないのです。
このことを十分踏まえて後半の部分を読んでいく必要があります。
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12章の冒頭の部分が今日の聖句です。
要約すれば、私たちは神のために生きるべき、と解釈して良いでしょう。
ここでの1つのポイントは、
「生きた、聖なる供え物」
というところです。
旧約聖書を見ると、供え物とは羊や牛など動物のいけにえです。
それらは全て、命を神に捧げるという意味で屠(ほふ)られます。
ですから、供え物は死んでいなければなりません。
しかしここでは、人間は神への供え物として生きていなければならない、ということを教えています。
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なぜでしょうか?
それはもうお分かりの通り、イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死んで神へのいけにえとなってくださったからです。
罪はその償いをしなければ消えることはありません。
指名手配の容疑者のように、それはなかったこととしようとして背を向けても、やがて清算の時が来ます。
しかしその罪の償いをイエス・キリストが命をもってなして下さいました。
これが福音です。
もう私たちは追われることも、自分の命でもって償う必要もなくなりました。
ですから、私たちは生きた供え物、生きたいけにえとして生きなさい、ということなのです。
ここに神の私たちに対する強烈な
「生きよ!」
というメッセージがあります。
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自分にとっての「神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物」とは何か、思いめぐらし、その道を歩んで参りましょう。
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