今日のみ言葉【No.2577】(2021年 7月 2日)「重い皮膚病の人への奇跡(1)」
「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」
(ルカ5:12)
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私は小学生の頃、毎年口の周りがただれる時期があり、「これは瘡(くさ)だ」と言われていました。
感覚としては、「じくじく、ぼろぼろ」という感じ。
かゆいので引っ掻き、顔から血を流しながらよく学校に行っていたものです。
聖書には重度の皮膚病から解放された記事がありますが、ただ単に癒やされただけでなく、そこには深い意味があります。
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ルカ5:12-16を理解するには下準備が必要です。
かつてこの聖書箇所では「らい病」という訳語が使われていましたが、研究が進んだ現在、当時のパレスチナ地方に「らい病(ハンセン病)」は無かったことがわかっています。
ですから、日本語聖書の訳も「重い皮膚病」と変更されたり、新改訳聖書ではヘブル語の発音そのままで「ツァラアト」と表記されるようになりました。
さて、全身重い皮膚病にかかったこの人は、実は病の癒やしを求めていないことにお気づきだったでしょうか?
彼はイエス様の前に出てこう言っています。
「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」
(ルカ5:12)
彼は「癒やし」でなく「きよめ」を求めているのです。
私はこの箇所を最初に読んだ時、当時のユダヤ人の生活を知らなかったので、
「う〜ん、なかなか感心だな。肉体よりも精神のきよめの方を重要視しているなんてさすがだ」
などと勝手に解釈していました。
しかし、癒やしでなくきよめを求めなければならない理由がこの病にはあったのです。
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旧約聖書時代、この重い皮膚病にかかるということは、その人に道徳的問題や神に対する不従順があったからだと考えられていました。
神はそれに対して病という形で裁かれたのだとされ、衛生上のことだけでなく、宗教的理由で社会から隔離されたのです。
皮膚病なら医者の領域ですが、神との関係に関わることなので、この病の判定は祭司が行い、モーセの律法による汚れのきよめの手順を経て、ようやく社会復帰ができたのです。
この人が癒やしでなく
「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」
(ルカ5:12)
と、きよめを求めたのはこのような事情があったからです。
しかし、イエス様以前はこの重い皮膚病が癒やされたユダヤ人はいませんでした。
少数の異邦人の癒やしの奇跡はありましたが、それ以外はありません。
いつしか、重い皮膚病の癒やしは救い主メシアしかできない奇跡と考えられるようになりました。
こうした背景の中、イエス様は病の癒やしを行われました。
それは、ご自身が約束のメシアであることを証しするためです。
以下、次回に続きます。
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病と癒やしを通し、救い主を送った神の御心に思いを馳せて参りましょう。
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