今日のみ言葉【No.2453】(2021年 1月23日)「心で決めたとおりに」
少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。
(第2コリント9:6-7)
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今日の聖句は私たちの教会の今年の標語聖句です。
この聖書箇所からのメッセージを1月20日にしたばかりですので、Youtubeでどうぞご覧下さい。
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豊かにまけば豊かに刈り取るのは自然の法則です。
朝顔の種を1粒まいて10個の花が咲くなら、10粒まけば100個の花が咲きます。
多く努力したらその分の報いは多くあり、まいたものが少なければ収穫も少なくなります。
「施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される」
(箴言11:24-25)
多く与える人が多く祝福されるケースを、皆さんも見聞きしていることでしょう。
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ただしこれは科学の法則ではなく、人格的神との間で起こることです。
法則なら条件を満たせば必ず同一の結果になりますが、神は人格的な御方ですから、与えたら常に必ず与えられるとは限りません。
神は愛であると同時に主権を持っておられますから、人間の思い通りに事が進まないことなどいくらでもあるのです。
あなたの祈りが退けられた時が特にそのことがはっきりと印象づけられます。
その時には、
「神は機械的法則で動く御方ではなく、最善を与えようとする深い御旨をお持ちなのだ」
と現実を受け入れ、将来に希望を持って生きることをお勧めします。
そうすれば、本当にそのような世界が開け、神の最善の何たるかをわからせていただけるからです。
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そのためには、
「惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである」
(第2コリント9:7)
がポイントとなります。
自分のものを犠牲にして与えたら、それは
「惜しいなあ」
という心が湧き上がります。
強いられて与えるのでしたら、反発心が湧き上がったり、
「どうせ取られるのだ」
と、捧げることが形式的になったりします。
生きて働いておられる神様と相談し、
「ここかな」
という、惜しむでもなく強いられてでもないギリギリの地点で捧げるのです。
そこで初めて、神と人間との命と命のふれあいが持たれるのです。
その生きた関係の中でまいた種には命があり、神はその種の命を育て、祝福を豊かに刈り取るようにさせて下さるのです。
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自由に心で決めたとおりに捧げ、与える人生を送りましょう。
法則ではなく、生きた神との人格的関係の中で信仰を体験するこの年となりますように…。
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