今日のみ言葉(2012年 3月7日)【No.257】
荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
(ルカ4:2)
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この冬は大変厳しい冬でしたが、暖冬だとかえって困ることがある、という果樹農家の方のお話を伺いました。
厳しい零下の日が数日間続くことがないと、木の幹の中に巣くう害虫が死ぬことはないのだそうです。
私たちが快適とは感じられない寒さにも神の御心が込められており、その寒さのゆえに秋の豊かな収穫があることを知らされます。
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イエス様が荒野に出たのも神の御心からです。
イエス様ご自身が進んで悪魔の試みに遭いに行ったのではありません。
「四十日のあいだ御霊にひきまわされて」とあります。
イエス様はむしろ聖霊によって荒野に引き出され、あえて悪魔の試みに出会わされたと言った方が正しいのです。
それはなぜでしょうか?
多くの説がある中で、「主権を神に明け渡すため」という答があります。
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私たち人間は、自分のために神を信じることの方が多いのです。
私たちの願いが叶えられ、喜びに満ち、感謝にあふれる生活ができると、
「ああ、神様はいらっしゃる」
と思いがちです。
しかしそれはあくまで、
「自分にとってどうであるか」
であり、
「神にとってどうであるか」
ということまでには考えは至りません。
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イエス様が荒野に出たのは、
「神のために自分が仕えていく」
ということを示すためです。
神に主権を譲るということは、地上の生涯を続ける中で常にチャレンジし続けなければならないことでもあります。
私たち人間はいつもそのような100点満点の解答を出せるわけではありません。
しかし、そうありたいという姿勢を常に持っていることが、川の流れを遡っていく鮭のように、命満ちあふれて生きる生き方です。
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私の牧師修行中、ある会社で朝礼のご用をさせていただきました。
社長さんはクリスチャンですが、社員の皆さんはそうではありません。
「どこの馬の骨だ」
と思われているのではないか、と、緊張する試練の時でもありました。
私は、毎回しどろもどろの話しぶりでしたが、社長さんはいつも、
「あんまり真面目でなくてもいいから、伸び伸びと思うところを話して下さい」
といつも笑顔で励まして下さいました。
その社長さんの犠牲のお陰で、人前で話すための心の筋肉が鍛えられたのは言うまでもありません。
神に仕えるためにご自分の会社を提供された社長さんの姿は、今も私の生きる指針となっています。
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試練の時こそ、神に仕える道を選び取って参りましょう。
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