今日のみ言葉【No.2220】(2020年 3月10日)「ぶどう園のたとえ(3)」

2020年3月10日

(画像:日本国際ギデオン協会サイトより)

あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」。
(マルコ12:10-11)

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ある家庭で

「我が家の大黒柱はお父さん…、ん?、やっぱりお母さんかな!」

と子供たちの楽しい会話が続いています。

大黒柱とは日本の伝統的建築の中で、家全体を支えるために中央部に据えられた大きな柱のことを言います。

転じて、その組織や集団を支える重要人物のことを「大黒柱」と表現するようになりました。

聖書でこれに当たる言葉は「隅のかしら石」です。

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イエス様はぶどう園のたとえ話を詩篇118篇の引用で閉じられました。

「家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。これは主のなされた事でわれらの目には驚くべき事である」
(詩篇118:22-23)

隅のかしら石とはどのような石でしょうか?

イスラエルの民が住むパレスチナ地方では、この石は家を建てる際に最も重要な石でした。

建築のための規準となる角の石であり、戦いの時には防壁ともなりました。

従って、今日の聖句の意味は、

「大工(律法学者)たちが重要でないと考えて捨てた石(キリスト)が、実は角の基準の石、大黒柱の存在だった」

となります。

私たちの人生にとって、イエス・キリストとは隅のかしら石のような御方なのです。

つまり、私たちの人生の大黒柱であり、角の石であり、人生の力となるべき存在です。

ところが、私たちはそれを知らず、捨ててしまっているのです。

しかし、捨てたはずのキリストが、神の不思議なご計画の中で、私たちの人生を支え、救う御方として現れて下さるのです。

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Aさんはクリスチャンの友人の結婚式に招かれ、引き出物の中にギデオン協会の聖書が入っていました。

白い表紙の聖書だったそうです。

彼女は読む気もなく、かと言って捨てるのも気がひけ、本棚に入れた後はその存在を忘れていました。

何年か経ち、Aさんに人生の試練が襲ってきました。

散々悩んだ挙句、知人が紹介してくれた教会で話を聞いてもらうことになりました。

「相談に行くだけだけど、教会だから一応聖書を持っていかなきゃならないかな…」

と思った時に、ピンとひらめきました。

「あっ、あの白い聖書がある!」

急いで本棚に向かうと、ありました。一番左側に、薄くホコリが積もった聖書がありました。

結婚式のあの時以来、一度も手に取ったことはなかったのです。

それを見た瞬間、彼女の胸に去来した思いは、

「ああ、あの時から神様は私を見ていてくれたんだ…」

というものでした。

理屈抜きにそう思え、感動で目がジワっと潤みました。

これをきっかけとしてAさんは教会に通うようになり、洗礼を受け、クリスチャンとなりました。

イエス・キリストは彼女の人生の「隅のかしら石」となってくださったのです。

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一度イエス様を捨てても、また拾い上げる時、イエス様はあなたの人生の隅のかしら石となって下さいます。

この方と共に、今日、新たな一日を歩んで参りましょう。

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