今日のみ言葉(2011年6月21日)【No.93】

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去
った、見よ、すべてが新しくなったのである。」
(第2コリント5:17)

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携帯電話の進歩発展には目を見張ります。

今や写真は当たり前。動画も音楽もこなし、おサイフケータイで「ピッ!」と支払いや会
員登録を済ませられる機能に至っては、竜宮城から帰ってきた浦島太郎の感があります。

特にメールがここまで利用されるようになるとは誰も思ってはいなかったのではないでし
ょうか。

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メールの良さは、今この時相手が不在でも用件を伝えられる、ということです。

電話だと、

相手が不在なので留守電に吹き込む

相手がこちらに電話すると、今度はこちらが不在で留守電に吹き込む

……

ということがあり、連絡をつけるのに手間取ることがありました。

しかしメールならそのようなことに頭を悩ます必要が無く、いつでも「ピッ!」と送信ボ
タンを押せばまず確実に相手に届きます。

電話をかける時の、相手の在宅時をねらって、とか、海外にいる人の時差を考えて、等の
工夫はいらなくなりました。

時代が新しくなった時、古い時代の手続き一切は不必要になるのです。

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「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。」

イスラエルの古い時代には、罪を贖うために必ず犠牲の供え物を献げなければなりません
でした。そのために牛や羊の命が人間の代わりに犠牲になりました。

新しい時代には、神の子イエス・キリストが進んでその身を犠牲として献げて下さいまし
た。もはや人間が犠牲を払う必要が無くなったのです。

このことを信じて生きるとは次のようなことです。

●罪滅ぼしをしないことです。
罪滅ぼしとは、善行でもって自分の罪を帳消しにしようとする行為です。本当はそんなこ
とでは賄いきれないほど人間の罪は大きいのです。キリストの十字架はその罪を全く帳消
しにしてしまいました。

●自分を責めるのをやめることです。
自分を責めるのは罪を犯した自分を自分で罰していることです。罰はキリストが十字架で
全部受けて下さいました。もはや自分を責めなければならない理由はありません。

●喜んで生きることです。
キリストは「お前の代わりに死んだのだから、これからは私の言うことを聞け!」とあな
たを支配しようとする方ではありません。あなたが罪の奴隷の身から解放され、自由に生
きられるようにと願っておられます。そのことを素直に受け取り、喜びを感じながら生き
ていいのです。

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キリストはあなたを解放して下さるお方です。

古い時代にはっきりと別れを告げ、新しい今日を大切に生きて参りましょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama