今日のみ言葉(2011年7月9日)【No.111】
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門
をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」
(マタイ7:7)
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「119」が救急車を呼ぶ緊急電話番号のように、「マタイ77」は神様への緊急電話番
号です。
困った時にはこの聖書個所を思い出しましょう。「マタイ77」です。
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聖書はあなたに、求めよ、と語っています。なぜなら与えられるからです。
捜せ、と言っています。なぜなら見つかるからです。
門をたたけとまで言っています。なぜなら門が開くからです。
困った時には神にその解決を求め、アクションを起こすことです。何か行動してみるので
す。
そうすれば、
「ああなって、こうなって、やっぱりダメだ」
と、あれこれ思いめぐらしていたことが、自分の想像に過ぎなかったということが分かり
ます。
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現実は頭で考えているようなものとは違います。
目には見えませんが、あなたに与えたくて与えたくてどうしようもないのをグッと踏みと
どまって忍耐しておられる神様がいらっしゃるのです。
ほら、ここにあるよと教えたいのにひたすら沈黙を守り、今すぐ門を開けてあげたいのに、
その門の向こう側でじっと息をひそめてあなたが門をたたくのを待つ神様がおられるので
す。
神様はあなたを子供扱いしない方なので、求めてこなければ与えようとなさいません。
これを人格的対応と言います。あなたからの応答を待ち、あなたを支配しようとはなさい
ません。
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人格的対応は機械的対応とは違います。
ジュースの自動販売機では、お金を入れて自分が欲しい飲み物のボタンを押せば、必ずそ
れが出てきます。
機械的対応に慣らされた人は、神様を自動販売機のように利用しようとします。自分の願
いを求めれば必ずそれがかなうと思うのです。
自分の思いや願いを達成するための一つの手段として神を利用しようとします。ですから、
願った通りの結果にならなかったり、自分の思い通りにならなければ、
「おかしい」
「壊れている」
「役に立たない」
と見なし、御言葉から離れて別の達成方法に移っていきます。
しかし、人格的対応をされる神はあなたの最善を願って対応なさいます。
ですから、
●求めたものが与えられないことがあるでしょう。
あなたが求める以上のものを与えようとしておられるからです。
●いつまでたっても見つからないことがあるでしょう。
見出すにふさわしい時まで待っておられるのです。
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神に求めることです。そして、人格的に取り扱われていることを身をもって味わい、神が
与えられるものに感謝する一日を送って参りましょう。
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