今日のみ言葉【No.2167】(2019年12月12日)「キリスト教イロハ(37)『神の存在』」

2019年12月12日

わたしを見た者は、父を見たのである。
(ヨハネ14:9)

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教会に来始めの頃、同年代の若い神学生が自分の腕時計を見せて、

「正確に時を刻むこの時計がいつの間にか偶然出来上がったはずはないよね。こうなるように設計して作った人がいるはずだ」

と言うので、私は

「その通りです」

と同意しました。

すると彼は次に

「人間の体がこんなにも精密にできているのは偶然とは思えない。時計と同じように設計した方がいたはずだ。人間とこの世界をデザインした方が神なんだよ」

と勢い込んで言うので、私は思わず神を信じそうになりました。

しかし、言いくるめられたような、何となくモヤモヤとした感覚があったので、自分の直感を大切にしてその場をやり過ごしたことを覚えています。

あの時安易に信じないでよかったと思います。

この神学生が使った論理は「目的論的証明」というジャンルに属するもので、古来からよく使われる説明法だったからです。

神の存在は証明すべきものではなく、信ずべきものなのです。

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理性的証明で神の存在を認める人は、更にその上を行く理性的証明で「神は存在しない」という論理が出てくると負けます。

そして、「神はいない」という方に傾いたはずの心ですが、さらに強力な「神はいる」という証明が出てくるとそちらに移ります。

理性に頼る信仰の難点は、このようにどっちつかずの不安定な信仰になるということです。

また、人間の理性で証明できる神であるなら、それは人間の理性以下の神となってしまいます。

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聖書を通して御自分を表された神は、人格的神です。

人格的なものを知るためには、自分側の一方的想像ではなく、相手側からの語りかけが必要です。

これを「啓示」(けいじ)と言います。

神を信じるとは、聖書を通して「神は○○だよ」と啓示されたことを人間的方法で証明ができてから受け取ろうとすることではなく、それをそのまま真理として受け入れることです。

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啓示には一般啓示と特殊啓示の2種類があります。

一般啓示とは、神が自然を通して御自身の働きを示されたり、預言者たちを通して語りかけたりすることです。

「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」
(ローマ1:20)

「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られた」
(ヘブル1:1)

特殊啓示とは、神がイエス・キリストという人格を通して語りかけられたということです。

「わたしを見た者は、父を見たのである」
(ヨハネ14:9)

神の存在は一般啓示によって知られますが、神がどのような方であるかは特殊啓示によって知られるのです。

イエス・キリストによらなければ神を完全に知ることはできないと言われる理由はこの点にあります。

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聖書の御言葉を霊の糧としていただき、祈りという霊の呼吸の生活を続けていると、この特殊啓示を通して知られる神が生きた霊的存在として実感されるようになります。

多くのクリスチャンが体験する典型的例は、聖書のある御言葉が、まるで自分に対して語りかけているように感じられることです。

それはまさに

「神が私にだけ語っておられる」

という感覚です。

こうなると、神の存在がどうのこうのという議論をする意味は色あせ、神が生きる力となり、自明の存在となるのです。

私たちの教会の吉田孝子さんはその生きた実例でした。

彼女は若い頃肺結核となり、癒されはしましたが生涯病弱な体と付き合う人生を送られました。

死の淵に瀕することを幾度か経験するうちに、自分の存在の基である神との関係が確立し、その死生観は非常にはっきりとしたものとなりました。

さて、医師から「次に入院した時が最後の入院となりますよ」と言い渡されていたその入院となりました。

亡くなる1ヶ月前、病院にお見舞いに行った時、孝子さんは

「神様が私に『わたしと苦しみを共にしてほしい』と語っているんだあ。それが私の支えとなっているんだあ」

と言われました。

その聖書箇所はテモテへの第2の手紙1章8節です。

「だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい」
(第2テモテ1:8)

ここは直接的にはパウロが弟子のテモテへ語っている箇所ですが、彼女がこの聖書箇所を開いた時、あたかも神が直接自分へ語りかけられたように受け取れたのです。

「わたしと苦しみを共にしてほしい」

孝子さんはその1ヶ月間、見舞い客に一言も弱音を吐かず、痛い苦しいとも言わず、来た人々に感謝の言葉を言い、逆に励ましの言葉をかけながら、天に凱旋されました。

御言葉が生きた神の語りかけとなり、強い力となり、吉田姉の命を支え続けたのです。

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御言葉を通して、生ける神の力を体験する今日として参りましょう。

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