今日のみ言葉【No.2122】(2019年10月17日)「キリスト教イロハ(22)『栄光』」

2019年10月17日

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって
(ヘブル1:3)

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NHKのオリンピック公式テーマソングでNo.1はやはり「栄光の架橋」でしょう。

●Youtube動画 ゆず ライブ「GO HOME」 栄光の架橋

栄光とは素晴らしいものだということはわかりますが、では栄光とは何だと問われると、あやふやなイメージしか持てません。

一般的にも聖書でも使われる「栄光」の正しい意味とはどんなものなのでしょう?

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栄光は英語ではグローリー(glory)、新約聖書のギリシャ語ではドクサ(δόξα)です。

聖書によれば、神の本質の表れを「栄光」と言います。

「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって」
(ヘブル1:3)

ここで「神の栄光の輝き」とあるのは、神の本質が現れ出て放射しているという意味です。

日本語で「後光が差す」という表現がありますが、神の御子であるイエス・キリストから神の本質が現れ出ていることが、光が放射されているような感覚で表されています。

また、旧約聖書のヘブル語では「栄光」という言葉は「カーボード(כָּבוֹד)」と言います。

これには「重い」とか「重さ」という意味があります。

神の栄光とは光り輝いていると同時に、重さを持ったものなのです。

パウロはこのことを次のように表現しています。

「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである」
(第2コリント4:17)

現代物理学はアインシュタインの相対性理論により、「E=mc2」という美しい数式でエネルギーと質量と光の関係を表していますが、聖書はその二千年前に「永遠の重い栄光」という言葉で時間と質量と光の関係を表しているように思えます。

栄光は光であると同時に重いのです。

教会の礼拝の説教で、よく「神の栄光を現すために人は生きている」と言われますが、今まで述べたことから考えると、それは

「神様の素晴らしさが私を通して放射され、光のように輝き出るようにすること。そして、自分の中でいかに神様が重い存在であるかを生活の中で表すこと」

となります。

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あなたが礼拝を大事にし、毎週教会に集うことは神様が重要な存在であることを生活の中で外部の人たちに表していることです。

それは神の栄光を表しています。

光り輝くような素晴らしいことをすることばかりが栄光を現すことではありません。

地道に聖書を読み、神の御言葉に従って愛の労苦に時間を費やすことが人に神の重さを伝えます。

あなたは普段の生活で神の栄光を現すことができるのです。

気張らず、ありのままで、栄光の人生を送って参りましょう。

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