今日のみ言葉【No.2012】(2019年 5月20日)「聖書の読み方(6)」
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。
(ヨハネ20:31)
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毎年11月になると、ボージョレ・ヌーボーというワインの仕上がり具合が日本でも話題になります。
これはその年に採れたぶどうで作る新酒で、フレッシュな味わいなのだそうです。
一方、何十年という時を経て熟成され、芳醇な味と香りを持ったワインもあります。
福音書をワインで例えて良いとするなら、前者は、一番最初に書かれたマルコによる福音書です。
後者は、最後に書かれたヨハネによる福音書で、イエス様の言葉とヨハネの神学的思想が渾然一体となり、深い味わいを持った書となっています。
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マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書は共観福音書と呼ばれ、最初に書かれたマルコが底本となっているので、共通する記事があります。
一方、ヨハネによる福音書には共観福音書にはない記事があるので、特別な書として見られてきました。
書かれた時代が違うことがその一つの原因です。
先の3つの福音書は紀元60~80年代に書かれましたが、ヨハネによる福音書は80~90年代と最も遅く書かれました。
ですから、マルコによる福音書のように、
「すると、すぐに」
という行動が列挙されているのではなく、時間をかけて考え抜かれた
「あれはこういうことだったのだ」
という深い思索と解釈が加えられています。
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では、前後の脈絡もなく、ヨハネが思いついた昔話を記しているのかというとそうではありません。
編集された目的というものがあり、一本、筋が通っています。
それは
「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」
(ヨハネ20:31)
というものです。
ヨハネは読者が、
「イエスは神の子キリストであると信じるため」
に書いたと言っています。
それはイコール
「そう信じて、イエスの名によって命を得るため」
なのです。
ですから、キリスト教初心者の方がキリスト教の救いを理解し、また、その救いを自分のものとするためには、ヨハネによる福音書をお読みになることが適切です。
このような読み方をされる時、ヨハネ福音書は最も力を発揮します。
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ところで、そういう私ですが、ヨハネによる福音書は長年苦手としていました。
よくわからないのです。
私が理論派だからだと思います。
ですから、きちんと整理されているマタイはよくわかるので好きなのですが、ヨハネを読むと途中で頭がボーッとしてきます。
極めて大雑把な言い方を許していただければ、ヨハネによる福音書がピタッとくるのは感覚派の方々でしょう。
読んでいて、文句なくスーッと入ってくるのだそうです。
そして、強い確信を得て、信仰に入られます。
私にとってそれは不思議なことでしかありません。
そこで、
「だから何?裏付けは?保証は?」
と信じる根拠を問いただしてみるのですが、感覚派の方々は次の答以外お答えになりません。
「神様がそうおっしゃっているから」
これで私はお手上げです。
信仰にはそのように主観的領域と客観的領域があるのです。
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どちらの人も、どのタイプの人も、神と出会えるように聖書は書かれています。
あなたに合った、入りやすいところから聖書を読み、救いの確信を得て参りましょう。
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