今日のみ言葉【No.1939】(2019年 2月14日)「聖書とは何か(3)」
きたるべき代のために、この事を書きしるしましょう。そうすれば新しく造られる民は、主をほめたたえるでしょう。
(詩篇102:18)
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「正典」と書いて「まさのり」と読む男性の名前、「花音」と書いて「かのん」と読む女性の名前があります。
文字は同じですが、聖書はキリスト教の正典(せいてん)です。
正典は英語でcanonで、キャノンもしくはカノンと言います。
このようなつながりから、正典くんと花音ちゃんという名前は聖書的命名と言えるかもしれません。
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前回、前々回で、聖書は古典であり、正典であることを述べてきました。
書物はただ単に古いから古典(クラシック)となるのではありません。
その内容が一級品なので時代を越えて現在まで残り、今でも人々に影響を与え続けているがゆえに古典として存在しているのです。
聖書の内容は間違いなく一級品です。
ところで、並み居る古典の中で聖書が異なるのは、キリスト教の正典であるということです。
その要素は2つあります。
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第1に、聖書には神の働きが記録されています。
「彼らを恐れてはならない。あなたがたの神、主があなたがたのために戦われるからである」
(申命記3:22)
とあるように、神は人の世に係わり合いを持たれるのです。
そうすると、
「今まで自分と神様とは無関係だと思ってきたが、神の方からの働きかけがあるのだとすると、神は私の人生にどのように係わり、どう働いてくださるのだろう?」
という疑問が湧いてきます。
これが第2番目の要素で、聖書は人間が神と出会うための「媒体(ばいたい)」となるのです。
神が私たちと出会い、そしてその神に私たちが応答する。
その「場」というものが聖書となるわけです。
「 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」
(ヨハネ20:31)
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さて、先ほどの正典くんと花音ちゃんに中学生として登場してもらいましょう。
正典君がある日突然、花音ちゃんにラブレターを出しました。
「好きだ。君のことを愛している。今まで陰ながら応援してきた…」
花音ちゃんはビックリ!
「エーッ!何これ?誰この人?名前だけは知ってたけど、話したことないし…」
正典くんは次々とラブレターを出します。
すると、今まで「ラッキー!」と思っていた過去の出来事に、実は彼の陰ながらの働きがあったと書いてあります。
花音ちゃんは最初は戸惑いましたが、だんだん「この人はストーカーではない」とわかり出します。
なぜなら、決して自分の思いをこちらに強要しないからです。
彼からのリクエストがあっても、必ず花音ちゃんの意志が尊重され、彼女が嫌だといえばやりません。
ただし、正典くんは花音ちゃんの気が変わるのをじっと忍耐して待っているのは確かなようです。
そんな正典くんの誠実な態度に、花音ちゃんの心はだんだん開かれ、
「バレンタインデーにチョコあげようかしら」
と、彼の愛に応答しようとしています。
なかなか微笑ましい中学生の間柄ですね。
既におわかりのように、このラブレターは正典である聖書のたとえです。
そこには神の愛の働きが記され、そこで人間は神を知り、神と出会います。
このような意味で、聖書は他の古典と一線を画し、キリスト教の正典として存在しているのです。
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神は私の人生にどのように関わってくださるのだろうかという期待を込めて、今日も聖書を読んで参りましょう。
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