今日のみ言葉(2012年 1月19日)【No.222】
「また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである。」
(マタイ13:23)
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今日の個所は種まきのたとえ話です。
種がまかれた場所は、道ばた、石地、いばらの地、そして良い地の4つです。
「ああ、私はなぜ良い地に蒔かれなかったのだろうか…」
と環境が不十分だから自分は実を結んでいないとお思いになっている方はおられませんか?
実は「良い地」には何の描写もありません。
良い地とは、「いばらのような草もなく、石もなく、柔らかな肥沃な土」、と私たちが一方的に想像しているだけです。
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良い地とは、御言を聞いて悟る人のことです。
頭の良し悪しは関係ありません。
御言葉を聞いて、それを受け入れ、自分の生活が御言葉に導かれる。
その時、あなた自身が良い地になるのです。
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私が初めて教会で礼拝説教を聞いた時のことです。
真理に対して人は4種類の態度をとる、というお話でした。
(1)真理を無視する人
「ふん、何を言ってるんだ!」
(2)真理を受け流す人
「キリスト教も○○教も△△教も、いいお話をなさいますね〜。はいサヨナラ。」
(3)真理を取捨選択する人
「これは役に立つが、これはいらない。」
当時の私はこの生き方でした。理性を働かせて何が正しいかを選ぼうとする自分に誇りさえ持っていました。
ところが、その上の生き方があると言う説教者の言葉に興味をそそられました。
それは、
(4)真理の中に入る人
だったのです。
自分の必要に合った御言葉や、フィーリングにピッタリ来る聖書個所だけ受け入れ、あとは捨てる生き方ではなく、御言葉の中に入っていく生き方だというのです。
その最高だという生き方は何なのか私にはわかりませんでしたが、そういう生き方ができるなら歩んでみたいと思いました。
初めての礼拝説教の後、淡い決心ながら、そう思ったことを昨日のように思い起こします。
そして、今の私があるのです。
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良い地を探す必要はありません。あなた自身が良い地なのです。
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