今日のみ言葉(2012年 1月20日)【No.223】
「するとイエスは言われた、『彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい』。」
(マタイ14:16)
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今日の個所は5千人の給食の直前にイエス様が弟子たちに語られた言葉です。
成人男子だけで5千人ということは、数に入れられなかった女性・子供を入れて2万人ほどの群衆であっただろうと言われています。
その人たちの食料の手配をするに当たり、
「あなたがたの手で食物をやりなさい」
とイエス様は語られました。
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弟子たちにすれば、それは不可能と思えたことでしょう。
しかし彼らは
「それは絶対無理」
と拒否したわけではありませんでした。
「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」
と、イエス様に完全な信頼を置く信仰ではありませんでしたが、
“今のそのままの自分の状態”
をイエス様に告げたのです。
これが祈りの原型です。
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それはちょうど赤ちゃんの泣き声のようなものです。
幼な子は、自分が何を必要としているか、などという明確な意識は持っていません。
むずがゆい、おむつが冷たい、空腹感、という不快感を感じ、泣くのです。
「お母さん、肌着を替えて下さい」
「おむつ交換して下さい」
「おなかがすいたのでミルクを下さい」
などという要求をしているのではありません。
どうしようもなくなって、ただ泣くのです。
しかし、お母さんはその泣き声を聞いただけで、赤ちゃんの気持ちを理解し、必要に応えるためにすぐ行動します。
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神様は私たちの祈りを呼び覚ますために、しばしば不可能と思える出来事を示されます。
私たちは泣き声を上げます。とてもそんなことはできないからです。
しかしその時に、
「とてもできません」
という言葉ではなく、
「私は今、○○という状況です」
と、今あるところを神様に告げること、それが祈りなのです。
神はその祈りを聞き、
「それをここに持ってきなさい」
と語られます。
あなたの状況を神に捧げると、神はそれを全く違ったものにして下さいます。
やがて、5千人以上の人が養われる価値あるものとして、神はあなたにそれを返されるのです。
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<< 祈 り >>
主よ、とても人には見せられないと思う私のこのありのままの状況が、あなたにあっては5千人を養う価値あるものへと変えていただけるのですね。差し出すのをためらう私ですが、ぜひどうぞ用いて下さい。アーメン。
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あなたが差し出せないでいる「5つのパンと2匹の魚」とは何でしょうか?
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