今日のみ言葉【No.1885】(2018年11月22日)「 教会(6)」
なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
(第1コリント12:13)
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夏の甲子園野球。
アルプススタンドに色とりどりのカードを持った高校生たちが集っています。
すると、一見バラバラにしか見えなかったカードが、カラフルな応援メッセージを次々と見せていきます。
それはそれは見事なものです。
一人のリーダーの指揮に忠実に従ったがゆえです。
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「みんなちがって、みんないい」教会ですが、種々の教会は聖霊によって統一されています。
聖霊の一致がある時、教会に集う者の心は同じとなり、またそれと同様に、全世界の教会も働きは違えど、同じ御霊を飲んだ者同士、一致して神の福音の働きのために動くのです。
一見バラバラに見えても、聖霊の一致がある時、全ては総合的に生かされ、神の御心が前進します。
ですから、あちらはあちら、私は私、なのです。
もちろん良い所は学びますが、比較する必要はありません。
神から自分に与えられた賜物を精一杯生かそうとし、そのために聖霊の御声に耳を澄ませ、それに従っていけばいいのです。
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私は何年もこの「聖霊の一致」とは何だろうかと考えてきました。
人間は霊的存在だから相手の霊もわかるのだろうか?
自慢ではありませんが、私は霊的鈍感者です。
霊的センスはほぼ皆無。もし天国に障害者施設があるなら、私は霊的障害者として真っ先に入れる者だと思っています。
その私でさえ、相手がクリスチャンとわかると、会ったばかりなのに何十年来の友人のごとく親しみを感じます。
海外に行った時はことさらそう感じます。
現段階での私の答は、それは神の前での「へりくだり」なのではないかということです。
神の御前に自分を低くする態度と意識。
罪赦された者として神の前にへりくだる姿勢。
それが共通部分として、そしてどちらが上でも下でもない、神の前に同じ位置にあるということが感じられ、それが聖霊の一致を呼び込むのではないかと思われます。
聖霊は風にたとえられます。
風は気圧の高い所から低い所に吹きます。
つまり、自らを低くする所に聖霊の風は流れることになります。
聖霊による一致を保つためには、聖霊の風の吹く所に常にいることが秘訣のようです。
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今日も聖書を読み、聖霊の御声に聞き従う生活を続けて参りましょう。
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