今日のみ言葉【No.1886】(2018年11月24日)「 嘆きの後の希望(2)」

主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。
(哀歌3:22-23)

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少々気味の悪い質問ですが、考えてみてください。

「象1頭を食べる時、どうやって食べますか?」

焼く?煮る?炒める?

答は「一口ずつ食べる」です!

“How do you eat an elephant? One bite at a time."

つまり、象のように巨大な問題に立ち向かう時は、一気に解決しようとせず、問題を小口に分け、出来る所から取り組んで行きなさい。そうすれば、あの巨大な象もやがて完食できますよ、ということです。

人生の大きな悲しみに向かう時もこれと同じです。

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何故

「起きないように」

と願っていたことが起きてしまうのか、私たちにはわかりません。

時に、

「どうせ祈っても無駄なんだ…」

と思わせられるような出来事に私たちは遭遇します。

「なぜそうなるのですか?」

と祈っても祈っても、答は神様から与えられません。

となれば、信仰から離れる人もいらっしゃいます。やむを得ません。

教会を避け、クリスチャンとの交わりを断る人が出てきます。無理もありません。

「そっとしていて欲しい」

「傷に触れないでいて欲しい」

これがその人が現在最も望むことだからです。

良くしてもらおうとも、癒してもらおうとも思いません。

ただ、そっとそのまま、誰も自分に触れないでいて欲しい。

大きな悲しみに遭遇した人は、ただ息を詰めて、ひっそりと生きることでしか過ごせない時期があるのです。

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やがてそれは「嘆き」という形で、少しずつ消化されていきます。

「はぁ…」というため息の繰り返しであったり、「なんであの時…」という問いであったり、わけもなく流れる涙であったり、その形は様々です。

寄せては返す海の波が、やがて波にさらされた大きな岩を侵食し、その形を変えるように、悲しみの記憶も形を変えていきます。

その時、私たちは

「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい」
(哀歌3:22-23)

ということを実感するのです。

「主の愛と力によって私はこの悲しみから癒されるのだ」

「試練は宝。この苦難はやがて最善となるのだ」

とは到底思えない時期を、ただひたすら嘆くことに費やさざるを得なかった人こそ、この哀歌の御言葉の真実さを体験するのです。

なぜあの苦難があったのか今でもわからないし、数多くの喪失体験を通らされたけれど、その悲しみを通して

「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない」
(哀歌3:22)

という確信が日々強められていくのです。

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神による心の癒しのメカニズムがどのようなものであるのかはわかりません。

しかし、悲しみのあまり息もつけなかった私たちが、毎朝の新鮮な空気に触れ、少しずつ呼吸を取り戻すかのごとく、神の霊の空気が私たちの心の内に入り、癒しを進めて下さるのでしょう。

嘆きを一つずつ口にし、その度毎に神の霊の空気を吸うこと。

主のいつくしみとあわれみを味わう日々とはそのような生活なのです。

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朝ごとに新しい神のいつくしみを胸いっぱい吸い込む今日として参りましょう。

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