今日のみ言葉【No.1863】(2018年10月23日)「 ヤイロの娘と長血の女(1)」
この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
(マルコ5:27)
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聖路加病院の日野原重明先生を教会にお迎えしての講演会の後、先生がロビーで握手会をして下さることになりました。
しかし何百人という聴衆が集まっていましたから、万が一でも事故があってはなりません。
私は先生のボディガードのつもりで隣りに立ち、
「握手はおひとり様1回限りです!」
などとスーパーのタイムセールのようなかけ声を上げて監視していました。
大勢の人々が正面から握手を求めてきましたが、その中で1本、逆向きの手を見つけました。
いつの間に忍び込んだのか、日野原先生の背後に回って、後ろから差し出した手があったのです。
これはボディガードとしては致命的ミスです!
握手会はアクシデントもなく祝福の内に終わりましたが、あの1本の手は私の脳裏にクッキリと刻みこまれています。
聖書の中の長血の女の現代版を見たような思いがするからです。
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マルコによる福音書第5章21節から43節までの記事で、会堂司ヤイロの娘と長血の女の癒しの話はセットで並行して進んでいます。
対照的なのは両者のイエス様に向かう態度です。
ヤイロは、
「イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、しきりに願って言った、『わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください』」
(マルコ5:22-23)
と正面から謙遜にイエス様にお願いしたのに対し、長血の女の場合は、
「この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった」
(マルコ5:27)
とあります。
長血の女は堂々とイエス様に向かうことができませんでした。
それは彼女のセルフイメージと関係があります。
出血が止まらない婦人病は、旧約聖書の律法の規定によって「汚れた者」とされていたからです。
「女にもし、その不浄の時のほかに、多くの日にわたって血の流出があるか、あるいはその不浄の時を越して流出があれば、その汚れの流出の日の間は、すべてその不浄の時と同じように、その女は汚れた者である。」
(レビ記15:25)
病気による症状が問題なのであって、その人という存在そのものは汚れてなどいません。
しかし、私たち人間は表の行為や出来事によってしか自分の存在を計ることができません。
自分は汚れている者だから価値がない。
自分に対して下したこの評価が、彼女の行動を縛っていたのです。
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しかし、その鎖を打ち破る知らせが届きました。
イエスという方があらゆる病を癒される、と彼女は聞いたのです。
「この人のところへ行けば私は癒されるかもしれない。しかし私は汚れた者だから、会うことができないだろう。たとえ行っても門前払いで拒否されるのではないか」
様々な思いが心の中に渦巻いたことが想像されます。
そのせめぎあいの果て、とうとう彼女が下したギリギリの決断と行動が、
「群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった」
(マルコ5:27)
だったのです。
大勢の人の中に紛れ、後ろから日野原先生に差し出された手と同じ手だったのではないかと私には思われてなりません。
決して模範解答ではない行動。
足りないと言われれば本当に足りない信仰。
しかし、彼女の精一杯の思いが、イエス様から癒しの力を引き出したのです。
(以下次回に続きます)
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ギリギリの所で絞り出されるようにして生まれる思いを、ダメだと思わず、捨てずに大切にしましょう。
神はからし種ひと粒ほどの信仰で山をも動かされる御方なのですから…。
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