今日のみ言葉【No.1968】(2019年 3月20日)「心の傷の癒し」

2019年3月20日

主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。
(詩篇147:3)

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1年間予備校に通い、努力に努力を重ね、念願の第一志望の大学に合格したとの報を受け、親御さんに早速聞いてみました。

「今、お子さんは大喜びで飛び回っているでしょう」

するとお母さんはこう答えました。

「いいえ、泣いています」

そうなのです。本当に嬉しい時、人は静かにその喜びに浸り、時には涙を流して泣くものなのです。

「良かった、本当に良かった…」

今日の聖句にもそれと同じ思いが込められているのではないでしょうか。

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詩篇第147篇の背景には、バビロン捕囚からの解放と、その後の城壁再建の完成の喜びがあります。

「主はあなたの門の貫の木を堅くし、あなたのうちにいる子らを祝福されるからである」
(詩篇147:13)

「貫の木」とは「かんぬき」のことで、門の扉が外から開けられないよう左右の扉に横向きに差し通す太い木のことです。

エルサレムをグルリと囲む城壁が完成し、外敵の侵入はこれで防げます。

出入りする門には堅い貫の木が差し込まれ、容易なことでは開きません。

詩篇第147篇には、神の中にいる安心が具体的現実として示されています。

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詩篇の記者は

「ここまで来るには本当に色々なことがあった。様々な傷をを負い、心折れるような出来事もあった。しかし、もう大丈夫なのだ」

という思いを込め、過去の様々な苦難を、むしろ懐かしく思い出しながら、

「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」
(詩篇147:3)

と、今の自分の心が癒されているのを感じています。

神がなぜ人間に苦難を与えるのかには様々な理由がつけられていますが、どんなに祈っても取り除けられない苦難はあります。

神が許可されたからその試練は与えられたのだ、というのがヨブ記を通して与えられる聖書のメッセージです。

苦難が去っても、なぜあのような苦労をしなければならなかったのか、理解できないものも残ります。

しかし、

「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」
(詩篇147:3)

と神はおっしゃられるのです。

神はその通りに、私たちの心に癒しを与えてくださることは確かなのです。

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寒い冬が去り、春が訪れるこの時期になると、教会には冬のコートの忘れ物が残されます。

誰のものかはわからないので、コート掛けの場所にそのまま吊るしていましたが、数日後、持ち主がわかりました。

「私のでした。朝寒かったけど、帰る時には暖かかったので、忘れてそのまま帰って来ちゃいました」

と笑顔で話されていました。

ところが、結局その日も暖かかったので、コートを着ないで帰ってしまわれました!

春という新しい季節になったので、冬の記憶はすっかり無くなってしまったのです。

「もしかしたらそのまま次の冬が来るまでお忘れになっているのかもしれないなあ」

と思いながら、私はそのコートを見つめています。

そして、

「古い季節が過ぎ去り、新しい季節が来て、春の喜びの中に生きていると、あったことさえ忘れてしまい、何も気にならないで過ごしている…。心の傷の癒しとは、きっとこういうふうなものなのかもしれない」

と神の癒しの素晴らしさを思い巡らすのです。

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癒しの日は必ず来ることを信じ、今日なすべきことをさせていただきましょう。

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