今日のみ言葉【No.1693】(2018年 1月25日)「 知識ある信仰」

したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。
(ローマ10:17)

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お寿司屋さんに行くと、魚の漢字が並んだ湯呑みを見かけます。

「なるほど、里の魚だから鯉か。青物の代表のサバはやっぱり鯖なんだなあ」

と思って見ていると、「鰯」という漢字に出会いました。

大きな魚の獲物に最もなりやすい弱い魚、つまり鰯(イワシ)です。

このような何の力もないものを盲目的に信じることを皮肉った「鰯の頭も信心から」ということわざがあります。

しかし、成熟した信仰はそのようなものではありません。

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確かな信仰は知識という土台の上に据えられます。

聖書が与える信仰は、

(1)旧約聖書に表されたイスラエルの歴史的経験

(2)新約聖書中に表されたイエス・キリストの人格の中に込められた神の御旨

を必要とします。

ですから、むやみやたらに鰯の頭でもありがたやと信じこむことが信仰ではありません。

大いに聖書を読み、正しい知識を身につけることが健全な信仰へとつながっていくのです。

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ただし、

「知識は人を誇らせ」
(第1コリント8:1)

とあります。

小学生の男の子が道で拾った木の棒きれをつかんで振り回すようなもので、自分が急に強い者になったような気がするのです。

パウロは続けて

「愛は人の徳を高める」

と記しています。

学んで知識を得ると共に、謙遜に聞き、愛を身につけることが知識を生かす勘所となるのです。

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子供は「子供扱いするな。僕はもう大人なんだ!」と言います。

しかし大人は「いえいえ、私はまだまだ子供でして…」と言います。

酒に酔った人ほど「俺のどこが酔ってるんだ!」と絡みます。

酔っていない人ほど「もう十分酔いが回りました。もういけません」と断ります。

もうおわかりでしょう。

知識を誇らず、

「知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」
(第1コリント8:2)

と謙遜に人に聞く態度こそが知識を求める態度であり、信仰を確かなものとしていくのです。

「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」
(ローマ10:17)

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大いに学び、大いに知識を得、謙遜な愛の人として過ごして参りましょう。

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