今日のみ言葉(2011年5月21日)【No.62】
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」
(創世記1:27)
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ユーミンの愛称で知られる松任谷由実さんが、ある時こんな質問を受けました。
「曲を創るときは、曲が先ですか?詞が先ですか?それとも同時に思い浮かぶんですか?」彼女はキッパリとこう答えました。「100%曲が先です。詞はあとから。メロディーができた時、その中に言葉は埋め込まれている。メロディーの中から言葉を探し出す作業が作詞なんです」
ダビデ像を彫ったミケランジェロも同様のことを言っています。「彫刻とは大理石の中に閉ざされた形を救い出すことである」
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人間は神のかたちに創造されました。それは、神のイメージに似せて造られたということです。残念ながらエデンの園での事件以来、人間に罪が入り、この神のかたちは損なわれてしまいました。
それは、人間にはたくさんの良いところがあるけれども、どれをとっても神を満足させるほどのものではなくなり、はるかにレベルダウンしてしまったということです。「何もかもダメだ」ということではありません。
しかし、不完全で不十分ながらも、人間の中に神のかたちは埋め込まれ、誰かの手によって表に現わされるのを待っています。人間はこの神のかたちが現れる時に、最高の生き甲斐をもって生きることが出来るのです。
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これは韓国で教誨師を務めた牧師の話です。教誨師とは刑務所内で受刑者と面接し、魂の救いを伝える働きをする人です。
この日、牧師はある死刑囚と会い、開口一番、「あなたは良い人です」と言いました。死刑囚は泣きながらこう言いました。「私は人を殺した凶悪犯です。自分の姿は惨めで、こんな私がどうして良い人だと言えるのですか?」と問い返しました。
牧師はすかさずこう言いました。
「よく聞いて。あなたが本当に悪い人なら、そんなに苦しむわけはないでしょう?」
牧師は死刑囚の中にある「神のかたち」に語りかけたのです。その死刑囚は泣き伏し、その場で悔い改めました。
その後、求刑通り死刑は執行されました。しかし彼はその前に洗礼を受け、天国の確信を持って刑に臨みました。
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人間には、どう見ても外れているという部分があり、と同時に、尊い姿もあります。その神のかたちに語りかける時、ミケランジェロのように大理石の中に閉じこめられた芸術作品を掘り出すことが出来るのです。
今日一日のどこかで、神のかたちを見つけ出す時間を過ごしましょう。
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