今日のみ言葉【No.1530】(2017年 5月16日) 082 「大祭司アンナス」(2)

大祭司はイエスに、弟子たちのことやイエスの教のことを尋ねた。
(ヨハネ18:19)

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高速道路のサービスエリア(SA)で休憩をした時、串焼き販売の車から美味しそうな匂いがしてきました。

お客さんが次々と買っていらっしゃいます。繁盛しているようです。

一緒にいた人がその光景を見て、ポツンと一言。

「あそこに出店するの、結構高くかかるんですよ」

聞けば彼もSA内で同じような仕事をしたことがあったのです。

人が集まり売上が見込めるところなので、納得してそれなりの金額を払っていたのでしょうが、赤字にせずに利益を確保するため米沢牛コロッケを「それこそイヤというほど揚げていた」そうです。

これを悪賢く利用して不正な利益をあげていたのがアンナスでした。

一事が万事。

彼がイエス・キリストに対して行ったやり方も、悪賢く不正なもので、自分の利益をあげようとするものでした。

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今日の聖句はただ読めば何の不思議もないような箇所です。

「大祭司はイエスに、弟子たちのことやイエスの教のことを尋ねた」
(ヨハネ18:19)

イエス様に教えを請うているように見えるのですが、何が悪いのでしょうか?

悪賢い者は巧妙なやり方で自分が有利になるように事を押し進めます。

実はユダヤ教の裁判では、被告に公正な裁判の権利を与えるため、

「被告は答えることによって罪を認めるようになるような尋問を受けてはならない」
(ウィリアム・バークレー著,『ヨハネの福音書(下)』,ヨルダン社 より)

と定められていました。

んん?法律用語というのは正確を期する余り、時に解り難くなるものです!

つまり、裁判で一番最初に「被告人に対する質問を行います」ということをやってはいけなかったのです。

正当な裁判では証人を立てて、その人に対する尋問から始めなければなりません。

まず第三者の意見を聞き、それから被告に対して聞く、というのが正しい順序でした。

これに反してアンナスは被告人である「ナザレのイエス」に対して、一番最初に、直接

「大祭司はイエスに、弟子たちのことやイエスの教のことを尋ねた」
(ヨハネ18:19)

としたので、この段階で裁判は不正であり無効となるはずなのです。

しかし、アンナス側にとってイエスという人物は正しいことを語る邪魔な存在でした。

ですから、真理をゆがめてでもイエス様を無き者にしようと彼らは考えたのです。

つまり、死刑という結論が先にあり、そこに持っていくための形式的手続きとして裁判をしたというわけです。

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このような悪の力に対して、イエス様は正義の力で対抗し、「力」対「力」でぶつかっていったのでしょうか?

いいえ、イエス様は「光」で彼らを照らし出されました。

その内容は明日に譲るとして、神の聖なる対処法は、オープンにして光にさらすことです。

「悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。」
(ヨハネ3:20〜21)

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闇に包まれた時は光を求めることです。

たとえローソク1本の小さな光でも、それで闇は無くなってしまうからです。

光なるキリストのもとに身を寄せる今日一日として参りましょう。

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